合気道の植芝盛平は陰陽に適った武道を極めた人物である
合気道はパッシブ(間接的)な武道であり、決して自分から攻撃することはない
相手の力を上手く活用し、それに適った型を使う
相手が押してくれば引き、引いてくれば押す
自分を倒そうと襲いかかって来る人物の肩を透かすような振る舞いである
相手としては拍子抜けしてしまうのは力と力のぶつかり合いの結果投げ飛ばされるのではなく、まるで自分自身の力がそのまま跳ね返ってきているようであるからかもしれない
自分と対峙しているとは言い過ぎかもしれないが、少なくとも相手が自分の力を上手く活用し、何ら力を入れずとも負かされる
何ともスッキリしないものかと思いきや実はそこに至った気持ち・考えにこそ勝負を分けた本当の敗因があるのかもしれない
相手を倒したいと思う気持ち、それを生み出す根源は相手を支配したい、相手の上に立ちたいなど様々に表現できるかもしれない
ただ一つ言えることがあるとすれば、それはそこには調和が無いということ、お互いが違う存在だということを認めていないこと
どちらかが優れているか劣っているか、それが判断基準なのかもしれないが本当のところは分からない
いずれにしても、違いを認めつつ、そこからどのように判断していくのか、相手を排斥するのか同調するのか
桜沢も言っている通り、合気道の極意は向かってくる敵を友達に、味方にすることだそうだ
何故それが出来るのか?
それは彼の私塾、MI塾のMIという文字が何を意味するのか、また、そこで何が行われていたのかを知っているものであれば、一目瞭然である
相対界と絶対界、この世とあの世、陰と陽
何か自分が問題に出くわした際に、上記の意味を真に理解しているかどうか
植芝盛平は無双原理に生きた人であるように思える