先日、月に一度の桜沢資料館の作業にMI(日本CI協会の前身)の先輩がお越しくださりました。
その方のお話で印象深かった話がありました。
桜沢が集まった弟子達に順番に質問をしていくのですが、その方は恥ずかしさから自分の考えを言えなかったところ、結果その方の考えが正解だったそうです。
桜沢の質問というのは絶対の正解は無く、その場によって正解が変わるものでした。
例えば「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という言葉があるが、これは正しいかどうか?のようなものでした。
これは結果的には見る側によるので正しくも間違いでもあり、重要なのは桜沢の心を読み取れるかどうかということなのです。
マクロビオティックの実践により判断力が高まれば桜沢の心を読み取るのは難しくなく、その人の判断力を試す問題なのでした。