木々の緑が日に日に美しくなっていますね。
木々に近づきますと、小鳥のさえずりが聞こえます。
鳥はこのさえずりだけで求愛をしたりと意思伝達をするのです。
先日5月25日の記事にて、アマゾンに住むピラハンという民族の話をいたしましたが、彼らが丸を書きますと、その丸から延々と物語を語りだすそうです。
まだ幼い私の孫は、用紙に丸や三角といった落書きをしますが、それをあたかも紙芝居のように捲りながら話をします。
こういったことも伝達手段のひとつといえるでしょう。
学問とは大変難しいものです。
しかも難しいことを言う人ほど学問を究めているという風潮があるように思います。
しかし、対して真理というのはもっと簡単なものです。
話は変わりますが、桜沢は、生前ローマ字運動に尽力しました。
ローマ字運動とは明治初年以来行われた、ローマ字を国語表記の文字として採用しようとする運動でありますが、私はなぜ桜沢がこのような運動に参加したのか長年疑問でした。
今では、桜沢は陰陽の宇宙の真理を難しい漢字等を用いず、簡単な言葉で伝えようとしたのではないかと思います。
事実、桜沢の晩年の著作は、それ以前と比べて難しい漢字も少なく、どのような人にでもわかるような書き方になっています。
難しい言い方をする中に真理はなく、鳥のさえずりや文様で伝達するような中に真理はあるのでしょう。