2012/02/08

排他性と依頼心

自分のことだけ考えている人が多いように思います。自分の世界にだけ留まり、他者との交流をしない。インターネット社会はまさにそれを助長しているように思えます。「つながり」がキーワードとなった東日本大震災。たしかに現代文明の最高傑作とされる科学技術が人々の絆を結びつけ続けたことに疑いの余地はありません。ツイッターが大変役に立ったという事実も否定しがたい事実です。

その一方で、そのバーチャルな空間でのつながりをリアルな世界でのつながりと勘違いしている向きも往々にしてあるのではないかと、疑うようになってしまいました。バーチャルな世界ではあくまで自分の世界は侵されないことを前提としているように思えます。あくまで自分が起した行動に対し、自分が心地よいと感じる人々からの心地よいアドバイス、忠告が貰えるのです。

世の中はそんなに穏やかなものではありません。自分とは馬の合わない人と沢山付き合っていかなくてはいけないのです。必ずしも自分が心地よいと感じる人とだけのつながりを持つことは許されない、それをエゴといいます。あくまで自分が主体な関係を築いていく、それが排他心を生みだします。

桜沢先生は海外に研究生を派遣するさい、最も排他性が少ないと思えた自分の教え子を派遣するようにしていました。なぜならば、ゴウマン、エゴの塊の人には他者を受け入れる包容力、受容性が欠けているからです。損な人に平和な世界の建設はもとより、マクロビオティックの普及活動などできるはずがありません。すぐ音をあげてしっぽを巻いて帰って来るに違いありません。

なぜそのような排他性を持つのか?それは一言で言ってしまえば自信がないからです。なぜ自信がないのか?それは自分に正直でないからです。正直でないと、つまり嘘をついていると誰かから何かを指摘されていることをビクビクすることになります。指摘されること自体は問題がないのですが、何か自分自身でやましいことをしている、した、と分かっているのに自分は何も悪いことはしていない、と言い訳をしている人は、ビクビクして、自信がなく、覇気がない、活力がなく、明日へのバイタリティがなく、そして何よりも他人を頼ってしまいます。なぜか?それは自分を過度に卑下しているから、どうせ自分なんて、という考えが生まれる。それが自分の殻(限界)をつくってしまい、そこから外の出来事は自分の力の範疇に及ばないことだとあきあらめ、自分がコントロールできないことに対し他人に依存してしまう。

さらに悪いことに自分の殻が狭い場合、自分の世界が狭い場合、他人への依頼心が非常に膨らんでします。このことからも分かる通り、桜沢先生が健康の七大条件の55点に正義を掲げた理由が分かるのではないでしょうか?つまり、正義とはウソをつかないこと。ウソは自分を騙し、本当の自分、本来の自分から自分を遠ざけてしまいます。そしてそれは自分の心地よさと反比例します。つまり、ウソをつくと、排他性が高まり、依頼心も膨らみ、心地よさはマイナスになり、結果として、エゴ、ゴウマンが残ります。

ゴウマンとはどんな他人でも治せない不二の病です。唯一、自分自身がそれを治すことができる。そのために、先ずは一粒の玄米に感謝することから始めませんか?食べ物でなくてもよいのです。自分の周りには当たり前に起こっているあらゆることが無数にあります。その一つ一つに注目し、その一つ一つに感謝する、「ありがとう」という気持ちを抱き、言葉を発する、そこからゴウマン病は徐々に緩和されていきます。ゴウマンに反比例する形で感謝は増えます。感謝する心が増えればゴウマンは自然と無くなっていきます。