2012/02/01

ニューヨーク講演⑧桜沢如一

ニューヨーク講演⑧桜沢如一

幸福の条件

桜沢 ところが海はどうです。全部それを受けいれてそしてきれいに浄化して、そして銀鱗の光る魚だの珊瑚珠だの美しい真珠だのをこしらえる。海には不思議な力があるのです。それで“うみのおや”というのです。あるいはわだつみと云う言葉がある。我が海ということなのです。日本語で昔わだつみといっていたのです。そんなわけで、この塩の必要さということはもう重大な事なのです。だから結論を申しますと、人間の体に病気が宿るとすればどんな病気でもあれ、それは塩気不足であるということです。

だから大神宮様でもどこでも皆塩をお供えするでしょう?最高のお供え物は塩と玄米。ところが塩なんてとっても安いものだと皆思ってしまってますが、どうしてどうして生みの親なのです。海に不思議な力があるのは塩のおかげなのです。塩というのは海を結晶させたものなのです。だから塩がなかったらこの世の中では何にもできないですよ。その反対を最も特急でやったのがオイサキさんですね。塩を消してしまうものばかり、水だコーヒーだ紅茶だ砂糖だオレンジだってね。それで生みの親から見放されたのが現状なのですね。それでもう目が見えないというところへきているのです。ところが今、ひるがえってもう一度、海の親に感謝するという気持ちが沸いてくると、奇跡ですね、ばーっと治りますからみててご覧なさい。

これはね、私の話ではないのですよ。これはケント博士がそういったのです。昔から日本とは古事記ではおのころ島といって塩の固まった国のことをさしたのです。キリストでもそうですよ。「汝ら地の塩たれ」といったでしょう。そういってキリストでは塩を非常に尊んだのです。ところが今の宣教師やプロテスタントの連中が蕃地へ行ったりアフリカへ行ったりコーヒーとかチョコレートを出して皆にやっている。だからちっともなおりゃしない。キリストのマタイ伝の十七章の十節二十節二十七節までよんでごらんなさい。どれくらい簡単に病気を治しますか。

薬も何にも使わないで。この方法をやったのです。塩をやったのです。だから絶えず塩の事を説いていますよ、キリストは「汝ら地の塩たれ」とね。えらいものですね。そんなわけで決して私が判断を皆さんに押し付けている訳ではないですよ。そうでしょう。そこで皆さんの判断力ですね。われわれの判断力で一番低い判断力はなんですか?一番幼稚な判断力は?

―食べたい・・・。

桜沢  ハハハ。もっと低い・・・もっと低い判断力・・・。

―飲みたい・・・。

桜沢 もっともっと幼稚な・・・。

―眠たい・・・。

桜沢 ハハハおもしろいね。赤ん坊は産まれて二十、三十時間の間、判断力なし。何にも呉れともいわなきゃ何にも云いません。二、三十時間たつと初めてお乳がほしいのですね。捜し出すでしょう。このときには判断力がはっきりあるわけではないのですけれども、なんとなしにお乳を探すのですね。こういうのが一番低い判断力です。それは二、三日たつと今度は少し伸びて来ますと、感覚で物を判断するようになる。甘いとかまずいとか、苦いとか辛いとか暑いとか冷たいとかね。これが第二段感覚的。その次はちょっと進歩しまして、これはだいたい一年か二年たってからですがセンチメンタルジャッジメント。

センチメンタルな判断力。あの人は好きだこの人は嫌いだなどといいますね。そういうのです。お解りですか?これが伸びてくるのは、伸び出すには二、三年からですけれども、もう二十になっても三十になっても四十になっても伸びて行くものですからね。止まってしまっても都合が悪い。例えば今大きな政治家で岸さんだとかいるでしょう。ああいう人でもだいたい第二段階の判断力で止まっているのです。ただ政治が面白いからやっている。ひどいのになるとお金が欲しいからやっているというのがあるのですね。なぜお金が欲しいかというとそれで甘いものを食ったり女を買ったり楽しい目をしたり、家を建てたり結局感覚を喜ばしているんでしょう。これは第二の判断力の人でね。どんなにお金があってもここに止まっている人がたくさんいる。ロックフェラーにしてもね。

それから第四。これはインテリですね。知的判断。日本語でいうと知性ということですね。それからここではセンチメンタルは感性。それからここでは感覚。それから第五判断力。第五判断力になってきますと今度はソシアル、社会的ですね。社会性の判断。この社会性の中には宗教的なものと経済的なものと二色ある。それから六番目。これはイデオロギー。キリスト教である、仏教である、あるいは共産主義であるなど、主義ですね。主義的なもの。これは一番高い判断力。ところがその上に全然別格の判断力がある。七番。これはシュプリエム。シュプリエムジャッジメント。最高の判断力。例えば英語では困ったことにラブとういう字はひとつしかないのです。例えばアイラブジスガール、アイラブジスマン、皆第二判断力です。

アイラブジスビューティフルウイメン、ここでアイラブ、センチメンタルだからアイラブマイサン、アイラブマイファーザー。これはもう感情ですね。その次はアイラブ、オア、アイライクトマテック、アイラブミュージック。よろしいですか。これらはインテリ的な愛です。その次にはフッシャ―マインド。弁護すること、アイラブピースなんてのはね。どこまでもラブとひとつでしょう。ところが日本語ではそれはいけないですね。日本語ではここだったらですね。惚れると言いますね。惚れ込んじゃった。ここだったら好きになった。慕わしくなった。ここになると好むといいます。我、学を好む。ここになると我、禅を楽しむというんですね。

それからイデオロギーになると義なのですね。あるいは仁なのです。この七番になるとこれはもう西洋にないですよ。この言葉は。意外なことにね。これはもう全てのものを愛するのですね。これを慈しみ悲しむという。慈悲。どうですか。こんな立派な言葉がありますか。英語にフランス語にドイツ語に。どこにもありません。皆ラブです。犬のラブも妻のラブも金のラブも神のラブも皆いっしょくたなのです。こんな立派な字はないのです。慈しみ悲しむ心。哀れ不憫と思う心なのですね。偉い違いですよこれ。ラブガールなんてとんでもないですよ。

とても仏教の深さにはかなわないですね。なんといっても二〇〇〇年、三〇〇〇年の歴史があるのですからね。そこでこの感覚をとりだしたやつですね。これはうーんととことんまで愛しますと惚れますと終いに憎になるのです。恋しさ余って憎さ百ばいなんて・・・。だから愛と殺人とは一面なのです。こちらが愛ならこちらが殺人犯。その次のこれもそうですね。センチメンタル。これもまぁ好きなんですけど終いに嫌いになってしまう。非常に好きな人がいてエンドレスチアル。これを忌むことになる。忌み嫌うことになってしまう。忌むのほうがもっと陰性なのですよ。ソシアルの場合でもね、善人が善をしているでしょう。一生懸命を積んでいると終いに悪になってしまう、必ず。

それは仮に貴方が百億円をもっているとします。それを全世界の人にあげるとします。そうすると一人にわずか十円か二十円しかならないですね。それもばら蒔くだけでもたいへんなことでしょう。大きな会社が必要になってきます。しかもそれをもらった人はなにをするか。ろくなことはしない。ビタミンを買ったりウイスキーを飲んだりね。あるいは貴方がもうこれはビタミンに限るといって皆にビタミンをばら蒔いたとします。するとビタミンは酸性なのですから全部の人に満遍なくそれを一年、二年食わしたらもう皆死んでしまいますからね。非常に悪いことをしたことになるのですよ。善人だなんてね。だから親鸞聖人は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言っている。善人の方がよっぽど悪いのだから。

そんなわけでイデオロギーにしてもマルクス、レーニンみたいにえらいことになってしまいますよ。一生懸命にイデオロギー調べたのはいいけど。今全世界の二十七億のうちで十六億までは共産党になってしまいました。今度月の世界にロケットを打ち上げたのでもう永久にアメリカはおいつきません。この点ではね。そんなに偉い共産主義ですけれどもレーニンもマルクスもスターリンも皆最後は悲惨でしたね。ところがお釈迦さんもキリストもやっぱりその当時イデオロギーの段階につかまっていた間は不幸だったのですよ。キリストなんかそれが為に磔になったのです。

お釈迦さんはそういう悲劇的な最後はなかったですけれどね。それでも随分すったもんだがありました。長い間もめました。特にマハ―ビラだのジャイナ教だの、ヒンズー教から非常な迫害をうけたことがある。そのようにどこへ行っても必ず裏があるのです。善には悪があり賢いのには馬鹿がありね。賢い人ほど馬鹿なのですよ。例えば経済学者なんてのはね、とても金の事に明るいかと思うと皆貧乏してますからね。経済学者ってのは、不思議なものだね

皆裏があるのです。例えば今平和主義者というのが非常に多いですね。戦争反対論者。ところで「貴方は何故戦争に反対ですか?」と聞いてみますとたいていの人は「私はハワイで主人を戦争で失った、私はかわいい子供三人もとられた、四人もとられた。おまけにわたしの家は焼かれてしまった」などというのはもうざらです。今、ヨーロッパへ行きますとね。だから私は平和主義、戦争反対。ところがそれはここの最上の慈悲から出たものなら、それは助けてやる必要があるでしょう。

でもこの辺で苦しんでいる奴はほっといていいのです。ちっとも助けてやる必要はありません。私は四十八年間これを説いて来まして嫌になってしまったんですな。本当に助けてあげて良かったと思う人はまれですね。たいていその「痛みが治った、このご恩死んでも忘れません」なんて、死んでも忘れないということはつまり帳面につけてあるという事でしょう?これは絶対に返さないということなのですよ。「絶対忘れません」て、こんな人ばかりですね。特にヨーロッパの人に多いです。ところがその自由主義のがりがりの西洋人の中に、時々名もなき人で五百万円、一千万円呉れる人があるんですよ。不思議ですね。

もう実際なんとも言えない有り難いですね。もう未だに私についてどこまでも行こうなんていう人があります。ここでも一人見つけましたよ。これはアメリカ人でね。貸せば今三百ドルの家賃が入ってくる五部屋ある立派なリバーサイドドライブの大きな家ですが、そのアパートを売って貴方の行くところへずっと付いて行こうと思っている、なんてそういうことを言っている人がいます。でもその人はまだ第二判断力にいるのですから危ないのですがね。裏がありますからね。

―博愛とどのくらい違うのですかね。

桜沢 博愛と云うのはこれ、センチメンタル。これは第三判断力ですね。これはフランスでは最高です。アンドフリーダム。みなここのところ。ここまで来ていません。だから東洋ってものは実に深いのです。ただ我々は知識にしちゃっているから駄目なんです。どんな宝でも持ち腐れじゃ仕様がないですよ。それでこれからこれを自由自在に使いこなす方法を申しあげましょう。どうです関さん、なんかこの段階(団体?)についておかしなところはありませんかね。これはまぁ私がいろんな本を読んだあげく、これはこれ、これはこれと云うふうに勝手に組み立てたんですがね。まぁ結局仏教などの本には皆こんなふうに説いてあるとおもうのですね。慈悲というのが一番です。

仁義なんていうのは第六判断力なんですよ。だから老子はですね、「大道すたれて仁義おこる」と、こう云っています。大道というのは第七判断力なのです。一番大きな道なんですね。慈悲の道。「大道すたれて仁義あり」仁義が起こって来た。それで医者は仁人であるとか医は仁術であるとかキリストは仁人であるとかいうようになった。これみなここの事なんです。それでおいおいと組み立ててみて結局こういうふうになったのですね。私はこれ戦争前ですから三十年ほど前にこういうものを組み立ててみて、それから長い間寝さしておいて尚も尚もやって、そして二十年ほど前からこれを一般にお話ししだしたのですが、今日までのところ未だ訂正するところがでてこないですからね。それで人間はここへ行けばもう幸福になるのです。

慈悲心が沸いて来れば。ところが好きだ好みだ、嫌いだ惚れたなんて云っている間は必ず裏が来るのですよ。どんないい旦那さんでも、それはもう駄目なんです。決まっているんですから。皆さんあの岩波と云う人を御存じでしょう?岩波書店の岩波茂雄。これは偉い人ですね。三十で古本屋を始めて三十七、八であの岩波大書店を造り上げて、そうして勲章だ勲三等だなどたくさん貰ってね。世界でも一個人であれだけ大きな文化事業をなした人はないと思います。ところが何と三十七、八から奥さんと別れている。別居している。三年に一度くらい一緒になるけど三日ぐらいするとまた別れる。とうとう死ぬまで家庭の安楽や楽しみを味わわないまま亡くなってしまった。

しかも六十五で死んだのですよあの人は。その苦労を読んでもう実際俺はなんて馬鹿なんだろう、六十八にもなっていながら岩波程の資産もできていない。これはえらいことになったと思ったのですがね。しかも岩波さんはその間に奥さんと一緒にいないでしょう。しかも熱情漢だから何人、何十人の女ができているのですよ。もう家庭生活は悲惨なものです。これでもまだその奥さんが岩波を離してはいけないと思うものだから、とうとう死ぬまで離婚を承諾しなかったのですがね。悲惨ですね。ただ子を孕まされにきたようなものです。子供の世話だけで主人の病気の世話もしないですよこの人は。

―そういうのは原因は・・・。

桜沢 これを知らなかったのですよ。あの人はこことここの間で生きていたのです。あの人にとってもこの文化というものが最大のものだったのです。文化というのはインテリクチュアリティなんです。ここに彼の欠陥があった。ここに日本の教育の欠陥がある。だから今アメリカで一世として四十年、五十年いる人で大学教育はおろか小学教育も受けた事がないような人の中にずーっと上の慈悲の心をめざして走っている人がいます。例えばロサンゼルスの石塚さんと云う人がいます。ご存知ですか?

―名前は知っています。

桜沢 もう五十年もいる人だね。もう人のためばかり尽くしている人です。それでも石塚さんは良い事ばかりやっているのになんだか不安だというのです。これで人生というものはいいものだろうか?もうホテルも二軒も三軒も持っているし、何にもお金に不自由はない方です。それでいて若いものの世話ばかりしているのです。

ここにいるレキシントンアヴェニューの店。やっているのは佐藤というのですがこれも。それからエイトアヴェニューでやっている銀座。これもみんなここで御厄介になったのです。特にこの佐藤なんかは石塚さんの奥さんにパンツのお尻の継ぎまでして貰っているのです。そんなに世話をしていてまだこれで良いのだろうか、なんとなく寂しいと云うのですね。これがはっきりしていないと駄目なんですよ人間は。この段階をはっきり見定めて、あそこまで行かなければ行けないのだということが分からないと駄目なのです。

―石塚さんは宗教心もあるのですか?

桜沢 あります。大変あります。

―それでもやっぱりそうですか?

桜沢 信ずるというのはイデオロギーなんですけれどね信仰ですから。けれども、そのイデオロギーなるものを完全に日常生活にこういうふうに取り入れろと云うことを教えてくれる宗教家がないのですよ。それが駄目なんだ。病気はこうして直すんだ。厄介な奴が来たらこうして宥めるんだというような、これの利用法を教えてくれる人がないでしょう。

そして、皆おまえこの世の中は苦しいんだと、死んだら極楽に行けるんだからまぁまぁとね。死んでから極楽へ行くんだと言うんです。それならもういやになりますね。昔僕はね、三十五、六年も前ですが一灯園で西田天香さんをお助けしました。一灯園で夏の集まりに来てくれと言われてね。七〇〇人から一〇〇〇人ぐらい全国から集まるのです。それではそこの食事を私にさせるかというと駄目だというのです。そこで私はここの研究生で森山シマという栄養学の先生を連れて行き「今日から玄米です。

野菜は一切買いません。もちろん鳥魚肉卵絶対に買いません」「何を買うのですか」「あそこに生えている草取って来なさい」ということで、庭にいっぱい生えている雑草を料理して食べさせたのです。そうするとご飯が二斗程はいる大きなお鉢が二十ほどあるのですが、それがすっからかんになってしまうのです。ところが玄米を始めてひと口五十回噛みなさい、話もしてはいけない、とやったところご飯が半分になってしまった。天香さん、びっくりしましたね。家は金持ちなんですねなんてね。家の庭の草で皆たべられるのですからなんてね。

それを二週間やりまして天香さん、びっくりしていました。そこに一人の惨めなお婆さんが台所で働いていました。「私は金は無し、主人は無し子供が一人いるが唖で聾だ、この世に何の楽しみもない。お金を十万もらったって駄目。どうしたらいいでしょう。天香さんはこれも前世の因果だからあきらめなさい。来世は良くなるというけど、どうしてもあきらめられない」というのです。それでは僕のやることをやりなさいといって食養をやらしたら、一か月でその子の聾と唖が治りました。夏の集まりでしたがある日「あちゅい」といったのです。

―その子はいくつぐらいですか。

桜沢 九歳ぐらい。今なら三十九ぐらいになっているでしょう。それがわたしが唖聾を治した一番初めでした。それからはもう何百人治したかわかりません。慈悲の心がこもればなんでもできます。それがなければ百万長者でもだめで岩波さんのようになる。奥さんの良子さんも二人とも不幸せなことですね。ここの名士、百貨店を造った人達も一代きりで後はすっかり人のものになってしまった。悲惨なもの。真珠王の御木本さんもこれでおしまい。

私は四十八年間、いやというほどいろんな家に呼ばれて行きまして見て来ましたが、本当に幸福な家というのはありませんよ。インテリで幸福な人というのは少ないですね。主人と妻が必ず反目していますね。悲惨なものです。この判断力をどうしたら最後まで上りつめますか?これが仏教の教えなのです。仏教というのはそういうものです。キリストもそうなのですけど仏教にはかなわない。

今仏教よりも有効なヒンズー教ジャイナ教というのがあります。これが全インドを占領しています。もう仏教なんてインドには一つもないのです。ひとにぎりなんです、仏教徒はね。仏教徒は日本だけです。ところがこのヒンズー教もジャイナ教も全部堕落してもうこのへんに降りて来ている。特にセイロン島の仏教のごときはこのへんにまで降りている。私はここへずーっと飛行機で飛びあがる方法を教えて回っているのです。それが今日のお料理なんです。あんな安い物を食ってここへひょっと行けるんだからまるでジェット飛行機みたいなものじゃないですか。どうですか、ちょっと喉は渇くけど。

これが私のねらっているところですね。ここまで行きますとね、例えばここで科学を勉強しようとするでしょう、現実的に医学などいろんな学問をね。その学問を研究した人が「我々は何にも分からなくなった、この世には原子と云うものがあると思っていたけれど、今では雲をつかむようなものになってしまった。原子というのは最小の物質の元だとおもったら、それは全く空空漠漠たるもので、大きな宇宙みたいなもので中に何にもない」というのです。失望ということが言える。ところがそこまで行くのにはとても大学を出て五年十年の年期では駄目で、アインシュタインのようにオッペンハイマーのようにあらゆる苦労をして来なければいけない。ところが食養によってここへ行くと一遍に皆分かってしまう。

何でも答えることができるようになる。今の科学者のだれにでも聞いてご覧なさい、「これなんですか」といってね。卵だというでしょう。卵じゃないのです。次にどれがメスでどれがオスかきいてみてください。もうきまっているのですからね。どんな科学者も答えられない。これを知っている人は皆言えます。この卵については二十五ほど問題を考えていますが、どれでも答えが出来たら偉いものです。コロンブスがこの卵をしばらくこうして板の上に立てて置けるか?といいましたね。絶対に出来ないですね。そしたらコロンブスは、ではこの先をちょっと割ってとね。それはもう卵ではない。

割れているのだからね。私はこのままでやってごらんなさいと言っている。これをやる方法が五つ六つあります。その次にオスかメスか。オスかメスかがわかるなら、どうしたらメスばかり産ませられるか、オスばかり産ませられるか。それも分かるはずですね。そのつぎにこれを茹でて黄身だけ固く茹でて白身は茹でない法はどうしたらよいか。あるいは白身だけ茹でて黄身は茹でない。なんだかんだと、たくさんこんな問題があります。ところが実際はこれは卵ではないのです。今買ってきて貰ったのですがね。全部ニセ物なんです。

これを鶏に抱かせるでしょう?そうすると腐って硫化水素という臭いものがでるだけでひよこはでてこない。そこらで売っているのはみなこれです。何にも選択無しに箱の中から取ったものです。本当の卵だったら必ずひよこが出て来てぴよぴよ鳴くのですが。つまりそれには生命力がある。これには死しかない。生命力がない。だからこれを毎日フライドエッグ、ベーコンエッグなんて食べてる人がたくさんいますね。毎日少しずつ少しずつ死というものをインポートしている。

それが厄介な精神病になるのです。生きているのだか死んでいるのだかわからないことになっている。恐ろしいものですね。お金を出してまで死をあの世から買ってくることはないじゃないですか。あなたがたもこれから皆、判断力がついてくる、つけば市場に行ってもこんなものはとってこないですむ。これしかないのです。たまにはありますけれどね。こわいものでしょう?私は善人だ何にも悪いことはしていないなんて、毎日毒薬を食べているのですね。これが罰なのです。罰は無知に当たるのではなく食べた事がもう罰なのです。判断力が無いと言うことが罰なのです。ところがこのアメリカでは物を考えるということはしないのですね。物を考えるのは医者だの弁護士だのいろんなのがいるのですね。そこへ行って聞けばよい。だから辻占い入りのせんべいが売れます

ホロスコープというごつい雑誌がでてますね。驚いたことにあれば雑誌ではなく辻占ではないですか。毎月出る雑誌ですよ。恐ろしい迷信の国ですね。自分の運命を人に聞かなければ分からない・・・自分の運命は自分で作るべきものでしょう。今となってはオイサキさんでも自分の運命は自分が作ったのだということはお解かりになるでしょう?誰でもそうですよ。自分の運命、孝不孝というのは自分が作ったものなのです。どうです、これでも私が無理に私の判断を押し付けていることになるでしょうか?

―不孝な境遇から押され押されて而してその自分の境遇とかなんとか云うのでは無いのですか。

それは偉大な判断力をもった人ほど不孝な境遇から出てくるのです。一人でもそういう人がある以上、境遇によって不幸になったという人はやはり、判断力が悪かったということです。だからこの米国で生きていると世の中の奴は全て判断力が無いです。日曜日の新聞を見ると分かるのですが、広告ばかり二〇〇ページもある。絵入りが十四ページありましたね。この間私が買ったのには

つまり字を読むのが面倒くさいのです。絵を見て楽しんでいるのですね。映画に行くとマンガをみて喜んでいる。くだらないディズニーのマンガだとかそれでなかったら西部物のギャング物。考える事が出来なくなる。ポンポンポンとこれが一番良いですからね。はっきりして・・・だからこの国でこの判断力をもってこの仏教の原理を握ったら、もうあなたがたはロックフェラーのためにも、フォードのためにもみんなお参りに来ますよ。一か八かやってみませんか。金は要らないんだから。金は玄米を食うための一日二十銭があれば良い。

―宗教の本を読むのはいかがですか。

自分で自分の運命をクリエイト出来ない、自分の運命が切り開けないなら。そのカギがここにあるのです。これをキリスト教ではキーオブキングダムオブヘブン、天国のカギといっています。我汝に天国のカギをあたえん、汝ら地にて住むところは・・・なんて書いてありますが、このことです。つまりキリストと云う人は東洋の西の外れに生まれたのですが、やっぱり東洋の空気をちょっと吸ったとみえて仏教で説くようなことの端くればかり説いているのです。そこでこれだけひとつよく覚えていてください。皆さんに上げた表の中にありましたか。ありませんか。判断力。これ一番大事ですからね。

そして急行でこれまで上がる方法ね。それをこれからここでやるのです。それには今、お話しし始めた色から入るのです。色、分かりましたね。次は水、分かりましたね。塩、分かりましたね。塩は陽性。陰性なものを食べても害がないように塩を効かせたらいいのです。ジャガ芋にしてもミカンにしても何でもね。陰性の物を食べないに越したことはないがどうしても食べたくなったら少しずつ塩をつけて食べる。あなたがたの息子さんたちで科学をやった人が文句いいますからね。そういう人にはホタシオンというのが多いほど陰性でソデウスナトリウムというのが多いほど陽性なのです。これは学者やお医者さんに・・・そこから形はこの間お話しましたね。木だ草だの竹だのとうきびだの長い物はこれですね。

だからここにこういうものがあるでしょう?これは縦も横も同じですね。これ陰陽円満の相です。ところがここに陽性の物が加わるとだんだん平べったい伸し烏賊のようになってしまうのです。こういうのは全て陽性の物にたたきのめされた格好です。それとは反対にこれは陰性の力が大きくてどんどん引っ張られて高くなってしまう。つまりこの力が陽性の力の終点でありこの力が陰性の力の終点なのです。これを二つ合わせるとこんなふうになって、すべての宗教の最高のシンボル。

キリスト教にしても仏教にしてもマホメッド教にしてもどんな宗教でも十字です。とくに仏教のごときはこれにもっと輪をかけて・・・ほんとう十字ですけれどね。それでもうこれだけで陰陽は分かった訳です。ただこれからこれを実行していくのです。例えば紫色の一番ひどいものはなんでしたっけ?茄子。それから葡萄、無花果ジャガ芋。ジャガ芋に芽が出るでしょう?小さな物ですがひとつ食べてごらんなさい。楽に死にますから。

これはソラニンという毒がはいっている。アルカロイドのね。二百貫もある牛でもこれを食べたら倒れてしまう。小さなかけらでも食べたら胎児が殺されてその晩に流産するか翌日流産する。こわいものですね。それからタケノコの一番先のほうね。タケノコというのはみんな紫なのですが先のほう三寸ぐらいの柔らかい所を毎日食べますとたいていの弱い人は三日目か四日目に喀血します。腸の弱い人だったら腸出血。憎い奴がいて殺したいと思ったら人なんか使わないで、嫌疑を受けないで殺人をやってのけることなんかなんでもない。この旦那、嫌になったななんて思ったら訳は無い。これで陰陽は分かりましたですね。それでもう一つ、産地によるのですね。

寒いところで出来る物ほど陽性、寒い季節に出来るものほど陽性。これはイチゴ。今が旬です。これは七月八月になるとなくなってしまう。陽性だから寒さには耐えられなくて姿を消してしまう。えらいものですね。それから暑いところに出来るものほど陰性です。バナナ、ミカン、パパイヤ、マンゴーなど熱帯地に出来る物は全て陰性です。仏教でも熱帯に出来たでしょう?だから陰性でしょう?実に陰気なものですよ仏教ってなものはね。それから精神的心理的産物までがこの陰陽の法則にしたがっている。非常に重大な事ですが何か質問はありませんか?

―暖かい所にすんでいる人は暖かい所で出来る果物を食べると病気になるのですか?

桜沢 それはたくさん食べるとね。その土地で神様が与えるだけのものを食べていればいいのですが、肥料をつかい増産をし殺虫剤を使って増産をしているでしょう。それで皆がたくさん苦しむのです。自然が与えてくれるだけのものを食べているだけなら絶対に病気にならない。

今アメリカではほとんど肥料の増産ばかりでしょう?ポリドールだのなんだののおそろしい薬を使って殺虫しているでしょう?一番長命で健康で賢いのはソビエト人でしょう今は。支那の四〇〇〇年の歴史をご覧なさい。四〇〇〇年間で南が北へ攻めて行って滅ぼしたことは一回もないのです。いつでも北からなのです。だから北に負けると書いて敗北という。

―詳しいことは知りませんが・・・。

桜沢 これはごく寒帯で植物が無いのです。しかたなく魚ばかり食べている。その結果文化が発達しないのです。実に平和な民で日本人と同じ容貌をしています。きっと昔は一緒だったのでしょうね。

―ソビエト人種が長寿の理由は?

桜沢 菜食人種。

―あまり正食したりしていないでしょう?

桜沢 肉食なんて実に少ない。もう零下五〇度の吹雪の中でアコーディオンを弾いて手袋もはめていないで踊っているじゃないですか。すごいものです。しかも彼らの踊りというのは足の踊りばかりでしょう。大変なダンスですよね。日本のは手踊りといってこんなことばかりやっていますがね。陽性の踊りです。足は一番下ですからね。一番上は陰性ですからね。それでは良くひとつ、お考えになってくださいね。まずいろいろ問題をもって来てください。町を歩いても人を見ても陰か陽か自動車に乗って運転手をみても陰性か陽性か急ぐときには陽性に乗ったほうが早いですよ。

急がないときは陰性に乗ったほうが安心ですよ。私は今申し上げたが、五歳の時に第一の不孝に会いました。父親に別れた。それからずーっと母親一人で子供を四人養うのをみて、私は飛び出してしまった。十歳から私一人で弟と妹をみました。それから十六歳から病気で死ぬか生きるかね。それで私はどうして母親が三十になるかならないかで、子供を残して死ぬなんて残酷な事があるのだろうかと、これをなんとか究明しなくてはならないと子供心に思ったのです。

(つづく)
199411月号No.686