ニューヨーク講演③桜沢如一
幸福とは何か
桜沢 例えば私は好きなことばかりやっています。こればかり四十八年やっています。長い間もう乞食以下の生活をして来ました。
-私の知っている中で自分の好きなことをやっている人にあまり会ったことがない。
-どれが自分で好きなのか自分で分からない・・・
-皆、金もうける事業をやってますけどね。
-それが好きなんだったら・・・
桜沢 まぁいいですけどね。しかし、やっぱり本当言えばその事業やった金でね。何か楽しい楽なごちそうを食べて妾をもって、なんてそんな事考えている人が多いです。
-それはそう思っているだけで事業じゃない。
桜沢 あぁ、そうなんです。ですから私のこの定義ですね、幸福の定義って言うのはいかがですかね。ひとつお考えになってもし間違っていると思われたら注意して下さい。
-自分の好きなことといっても程度によりけりですな。人の嫌いなことだったら完全な好きではないですな、どうですか。
-どういうことでしょう。
-人の嫌いなことであったら百%好きでも完全な好きとは言えませんな。
桜沢 いや、そうは言えませんね。一生好きでいけることなら好きですよ。それはその人には。他の人には嫌いなことであっても。
-それは完全では無い気がしますが・・・。
桜沢 一生やってやってやり抜くということは出来ないですよ。嫌いなことを我慢してやっているとかね。あるいは嫌いな、他の人が嫌うとか言うことじゃ駄目なんです。
-あぁ、そうですか。
桜沢 そういう条件付けませんけれども自然にやれなくなりますよ。自然と。どんな仕事でも良いです。道路掃除でもどぶ掃除でも何でも良いんです。それが好きで好きでたまらなくなって楽しんでいるのなら良いです。お百姓さんですが毎年毎年、あのえらい田植えをやってますよ。日本ではね。このアメリカみたいに飛行機でバラバラと種蒔いて分ケツもしなければ田植えもしないなんてそんなのは無いですけどね。それでもやっぱり一生やって百歳になった、九十七歳まで田植えをしたお爺さんを知っていますよ。楽しみ抜いて何にも欲が無いです。欲離れしてね。どうでしょう。とにかく私の定義はそれです。この支那の本にも書いてある。もう何千年か前に書かれた物。偉い質問ですね。支那人はここまで考えている。アメリカ人の幸福なんていうのはこれでしょう。幸福という以上、これが皆そろわなくてはいけない。福だけならこれでも良いですけどね。これは沢山金が出来て幸福になっている。お金の為に幸福になった人は少ないですよ。イーストマンコダックの会社の社長の初代イーストマン。七十六でピストルで死にましたね。こんなつまらない世の中は無いと言って。エジソンどうですか。八十になって、私は六千種の発明をした、それは人類が幸福になると思ってやったんだと。ところが八十歳になってみるとちっとも世の中は幸福になっていない。ますます不幸になっている。このニューヨークのガス及び電灯はエジソンが作ったのですね。その時の妨害があったときの話なんか読むと身の毛がよだつようですがね。そんな訳で実際この福だけで幸福になった人も無ければ寿だけで幸福になった人もいないですね。
かえって八十、九十まで生きて、いい例が御木本幸吉さんです。キングオブパール(真珠王)。この人なんか九十六で死んだんですがね。この人は七十七から正食を始めたんです。そしてそこまで長生きしたんですが実は不幸なんです。三十八歳の時に奥さん死なれまして子供三人か四人残されてそれ以来ずっと独身ですよ。悲惨ですね。独身でもう真珠ばっかりに没頭していたんですね。小さい時は夜泣きうどん屋をやっていたんです。斎藤という家の姓ですが兄弟が八人もあったために御木本家にもらわれていって御木本という名になった。「私ほど不幸なものはありません」とある日御木本さんが言いました。「どうしてですか」多額納税者で貴族院議員で大したものなんですからね。王様みたいなものでしょう。それが一番不幸だと言うんです。何事かというと「私は妻と別れた。三十八歳で妻に死なれた。子供は準禁治産者、財産をやることが出来ない。法律によって禁じられている」悲惨でしょう。その次には若いときに保険に入ったんです。妻が死ぬ前にね。それを自分はもう七十から八十になりかけているのにまだ年々掛け金を払っている。二千円の保険金掛けたのにね。終身保険といって、死ななければくれないです。「イボンヌに告ぐ」という本を書いたのです。実にすばらしい本です。その次に「アジアの曙」というのを書いた。これもすばらし本です。今、来月あたり伊勢の大神宮さんがこれを再販して出しますが、いや立派なものですよ。この人なんかは、コーネイはあるし、修得はあるしこれは考えなくて良いしこれもある。ただこれが無い。何かひとつ欠けているのですね。九十六ですからね。この間わざわざ会いに行って来たんです。賢島へ。こっちの四苦八苦の無い人。四苦八苦もっていない人というのはもうざらですね。こんなふうに絶対に困っていない人も又珍しい。例えばこの間、閑院宮朝明王が死にましたね。五十八歳でね。自分の求めているものがないんじゃない、もっているものがなくなったんだからもうひとつ悪いんです。そして家族は断絶。皇后陛下のお兄さんですがね。良い人ですよ。実に良い人でしたね。これはこの間ミドル劇場でやっていましたね。酔いどれ天使という映画です。この主人公は肺病で血を吐きながら悪い事ばかりやっている。まあ、愛別世界はさらにあるし、苦しみと呪いはもうこれは世界中。西と東になって米ソの対立なんてものもある。ところがこれ全部をお釈迦様は保証してくれた。これが仏教ということになってしまったんです。キリスト教にしても神道にしてもジュイニーズムにしてもヒンズーイズムにしても皆同じ事です。皆これをねらっているのです。生長の家にしても。結局はそれで皆ひかれてくるのですからね。
-一寸質問。
桜沢 はい。
-ピースオブマインドというのは?
桜沢 それでこの間ドナルドキーン教授がピースオブマインドを求めろと言うのです。それは何故だと言ったんです。そのために禅をやるのだと。何故だと言ったんです。そしたらマインドがないんだと。何故ピースマインドが無いんだと言ったらコーンスペイションはある。便秘が治したくて治したくてしかたがないがどんな薬も駄目だ。それで禅でもやれば座って丹田に力を入れてやれば治るからと言うのです。禅が便秘の両方だってハッハッ・・・偉いことですね。私のやつはね、やっぱね。全て治しちゃう方法なんです。それを私は食物だけでやるのです。食物だけ。その理論を皆さんに・・・六十七年間私が広めて、きたえて全世界で特にヨーロッパでもう仕事は終了しましてパリに三軒、ブラッセルに四軒キャサブランカ、ドイツ、スイス、方々にグループが出来て猛烈な勢いで皆やっています。皆は日本の醤油、日本の味噌、胡麻塩、陰・陽なんて事を・・・。醤油、味噌、これらは皆英語、フランス語、ドイツ語になってしまっている。ヨーロッパでは字引にでてますからね、この頃。それほど広まったので少し手が空いて来ました。それで今度初めてこちらへ来たんです。この秘密をひとつ是非早く皆さんに話したいと思ってるいるのです。それでまあお始めになったんですね。今年に一人二人三人いらっしゃいますね。この前の第一回においでになった方が岡島さんと・・・
-岡村さんです。
桜沢 ああ岡村さん。
-関さんです。
桜沢 ああ貴方でしたか。
-先生おかげさまで足が治りました。
桜沢 良くなりましたか良かったですね。向こうで何百人あるでしょうか。数えてみたらロスアンゼルス、シスコ、ニューヨーク、何百人か治りましたね。時に良くなった人は布施夫人、実に美しくなって十年ぐらい若返った。一昨日の夜でしたか私のところへホワイテングさんが来ていたのです。そこへ関さんが入って来た。そうしたら関さん「あなたどうしたの若くなって美しくなったね」といってびっくりしていましたがすっかり治りましたよ。毎朝鏡をご覧になった・・・
-足が治ってからはしご段を上がりおりするのが楽でそれが楽しみなくらいになりました。
桜沢 楽しみが無かったんですね。ありがたいと思わなかったんだね、でも手術してご覧なさい。一日一万円懸かるそうですね。それで手術してもらって痛い思いをして金を取られてそして治らない、治る病気はありませんよ。相当あなたは意志が強かったね。
-それが難行だと思ったのです。
桜沢 それは難行じゃない、難行なさるのがありがたいんですよ、だからこう書くのです。有り難いとは難があるということです。難あり、すなわち有り難いと言う言葉がありますからね。この言葉は西洋には有りませんね。ありがたいという言葉は無いでしょ。
-先生、今は有り難いです。
桜沢 もしそんな間に私の前に来て、随分つらいなどと言ったら私はぷつっと切ってしまいますよ。絶対。始め十日間の修行が出来ない人にはもうお付き合いしないですからね。もっと苦しんでもっと悪くしてどうぞなんでもするからと言うふうになるまでは教えないことにしています。
-先生私は二十年苦しんだのですよ。
桜沢 まだ二十年は短いほうですよ。
-だからどんな苦しみでも辛抱出来たのです。
桜沢 そんなのはもうたくさん有るのですね。それは手術でも薬でも絶対に治らない病気なんです。
(つづく)
1994年6月号No.681