毎朝歩いて来る道にイチョウの木があります
冬ですのでその樹の葉は落ち、枝が寂しく冬の寒風にふかれています
その一方で新宿西口から歩いてくる道を見るとイチョウの樹がこちらはさらに寒々と枝を切り落とされ、なかばみすぼらしい姿をさらけ出しています
この木々を見ると、枝を切り落とされて自然を大切にしていないと一見すると考えがちです
しかし、枝を切り落とすのにはそれなりの理由があるわけです
それは人間の側の危険回避(もしもの時、通行の邪魔になるなど)の結果として表われているわけです
そして樹を伐採して自然破壊をしている、と考えるのも人間の勝手な思い込みです
ひとたび結果としての枝を切り落とされた樹に焦点を置いてみますと別の考え方ができるように思えます
樹としては切り落とされることに対してどうしようもありません
自分は受ける、身構えるしかありません
ちょうど、コンピューターと将棋の元名人が対戦し、コンピューターが陰性な戦略をとり相手の出方を待つ(陽性な行動)ことで勝利を手にしたように
受け身(陰性)の行動は陽性を引き付けます
なぜならば陰陽は調和するのであり、陰と陰、陽と陽は互いに反発し合うからです
それは不快な状態であることは実体験からも分かると思います
その現実から目をそむけるようなことをせず、それをありのままに受け止め、感じることが大切です
なぜならば直感は判断力のことであり、それは感性によりしか磨かれず、その感性は自分の実体験の結果得る以外方法がないからです
話を戻しますと、枝を切り落とされた葉は冬という陰性な環境で陰性な状態にされることで陽性になろうとします
強くなるわけです
マクロビオティックは現状の陰陽調和を目指すものではなく、できないことができるようになる、だから面白いわけです
桜沢先生はそれを「ジャンプ」と表現しました
できないことを出来るようになること、つまり、より厳しい環境で生き残るためには苦労しなくてはなりません
若い時の苦労は買ってでもしろ
まさにその通りですね