2012/04/25

文化と米食


天皇陛下が皇居の苗代にてもみまきをされたとのニュースが先日ありました。

11月23日は、勤労感謝の日ですが、これは1948年にGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものであり、元々は新嘗祭というものでした。
これは収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝するものでした。
天皇や国王等がこのように作物の収穫に携わるような国は大変稀でしょう。
古代、米は神の食べ物とされておりそれを主食とすることで永遠の平和を保つことができるという古代人の知恵が生きています。

日本では天皇陛下が軍事、政治、経済などを司った期間は短く、その存在は文化の象徴と言えるでしょう。
このように軍事や政治、経済よりも文化を重要とする国は日本以外には多くありません。
これは日本人が米を大事にしてきた成果と言えるでしょう。

2012/04/24

中庸

「中庸」と「バランス」という言葉が混同されているのをしばしば見かけますが、この二つは全くの別物だと思います。


バランスとは、物質的な比率のことでしょう。
例えば、「カリウムとナトリウムの比率が○:○」などのように使います。

対して中庸というものは、心の有り様、正常な本能の働く状態のことでしょう。
陽性な人に対しては陰性な対応を、陰性な人には陽性な対応をできる人の心の状態を「中庸」と呼ぶのです。

陰陽どちらかに過多にならないようバランスを取ることで、中庸(心の状態)になるのです。

2012/04/23

本能とは

先日京都にて講演をして参りました。

今回「本能」について話しをさせていただきました。

本能というと「彼は野生の本能を持っている」といった具合に言いますが、本能とは何も特別なことではなく、暑いときに汗をかいたり寒いときに毛穴を閉じたり、日常の中で当たり前に見えるものであります。

私達は日常において陽性に陰性で、また陰性に陽性で対応しております。
ここに間違いが生じたとき、病気や心身の不調といったものが表れます。
この陰陽のバランスを取り、中庸を目指すことが大事であり、その基本が食であるのです。

余談ではございますが、この講演の後桜沢の墓前に参ったのですが、ちょうど出発するというとき朝から降っていた雨が止みました。

「桜沢先生が喜んでいる」と言う方もおられましたが、私は我々の判断力が合致したものと思います。

2012/04/20

日々の暮らしの中で陰陽を考える

 「 日々の暮らしの中で陰陽を考える」
これは、リマ・クッキングスクール師範科の初日にお話するテーマです。

先日、渋谷本校にて夏期 師範科1期(ウィークデイ)の初日を迎えました。

講義の途中、1人の女性に尋ねました。

「陰陽の勉強をして何か変化はありましたか?」

女性はこう答えました。

「子供たちの気持ちが分からなくなってしまう時があり、育て方が悪いのかと悩んでいました。しかし、陰陽で考えるようになってからは子供たちの気持ちが分かるようになり、気持ちが楽になりました。」

悩みを辛いと感じてしまうのは、物事を一つの側面からしか見れていないから。

物事は相対的にできています。

陰陽を理解する事によって物事を両面から見ることができるようになり、物の見方(世界観)を理解することに繋がると思います。

2012/04/18

科学ではわかり得ないこと

今朝、日課のウォーキングをしておりましたところ、ケヤキに新緑が芽吹いていました。

昨日は気がつかない程だったのが一日の間に成長してしまう新緑の芽吹きの早さに驚くと同時に、昔のことを思い出しました。

学生時分後輩に石川啄木のある短歌について教えてもらいました。
「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸われし十五の心」
そして盛岡城にはその歌碑があるということでした。

そんなこともすっかり忘れていた三年前、たまたま盛岡城を通りかかり、その歌碑に辿り着いたのです。

ここで詠われている十五歳というと、正に青春真っ盛りです。
しかし青春の頃を美しく思うのは後々振り返った者の感じるところで、その最中にいる当人にとっては夢と現実の間で辛い思いをすることばかりであります。
マクロビオティックでは、元々人間の意識は自分のものでなく、大空や宇宙のものであると言われています。
石川啄木が寝転んで空を仰ぎ見たとき啄木の意識が空に吸われる、つまり空と一体(空そのもの)になったのです。

詩人というのは、感情である第三判断力を備えているため、科学ではわからないことがわかるのであり、図らずとも宇宙の原理に気づいているのでしょう。

2012/04/17

人間の本能と陰陽

人間は本来、本能で陰陽を理解しています。

暑い時に上着を脱ぐのは、暑さで身体が陽になりすぎてしまい、
身体が中庸になろうとして陰である涼しさを求めているから。

寒い時に上着を着るのは、寒さで身体が陰になりすぎてしまい、
身体が中庸になろうとして陽である暖かさを求めているから。

これらの行動は陰陽に基づいての行動です。

頭で考えるだけだと難しく感じてしまいますが、
日常生活の行動に対してどうしてその行動をとったのかを考えるようにすれば、
陰陽がより身近に感じられると思います。

2012/04/16

陰陽に生きる

先日、俳優の片岡鶴太郎氏とお会いする機会がございました。

片岡氏といえば、タレント活動や芸術活動など多方面での活躍で知られていますが、同時にプロライセンスを持つプロボクサーでもあります。
片岡氏はプロボクサーになるため、食事を一日一食に変えられたそうですが、それに苦痛は伴わなかったそうです。

食べることも楽しい
空腹を感じることも楽しい

そう話す片岡氏は空腹であるほうが仕事に意欲的に取り組むことができるそうです。

食べることの楽しさは多くの人が知っていますが、空腹にも楽しさを見出せるような生き方が陰陽に生きるということでしょう。

2012/04/12

科学と宗教

『科学と宗教』とよく言われますが、「科学」は物質を分析し追及する西洋を象徴するものであり、また「宗教」は自然または精神を追求する東洋を象徴するものと言えるでしょう。
 
陰陽とはこの物質と精神を併せたものであり、陰陽を究めることで宇宙を創る意思と自己の意思を一体化させることができます。
桜沢はこれを「最高判断力」と呼びました。

陰陽を学び、生活に取り入れ実践することがマクロビオティックであるのです。

2012/04/11

遊ばざる者食うべからず

桜沢の言葉です。

一般的には「働かざるもの食うべからず」という言葉がありますが、
桜沢はその逆の事を言っています。

陰陽の秩序のなかでは、
子供だけではなく、大人も楽しく遊べる。
それが分からないうちは食う資格がないとの意味です。

長い人生、
何か一つでも夢中になれるものを見つけて
充実した生活を送りたいものですね。

2012/04/10

「おかげさま」という言葉

「おかげさま」という言葉には2つの意味があるといわれています。

1つは「ひなた」
私達が生きている「見える世界」

もう1つは「かげ」
「見える世界」とは別にある「見えない世界」

世の中は「見えない世界」によって「見える世界」が出来ています。

日本は古来より自然の摂理や神仏を身近に感じており、
自然に生かされていると考える人が多くいます。

ただ、漠然として感じるのではなく、原理を理解するためにも
日々マクロビオティックを勉強していきたいと思います。

2012/04/09

ニューヨーク講演⑬桜沢如一

ニューヨーク講演⑬桜沢如一

桜沢 結局人間てものは仕様のないものだ、すべて自分の罪業は自分で償わなければならないようになっている。それは陰と陽ですから陰だけまたは陽だけで多く食い過ぎたらどうしてもバランスがとれないから傾いてくるんですね。だからほかの人が罰を代わって受ける訳には行かない。口から入ったんだからね。口から入って他人の腹の中に入ればいいのだけれど、口から入ったら嫌でも自分の胃袋に入るから。


―先生それで陽性のものばかり食べた人はどうですか?

桜沢 それは悪いですよ、もう気が短くなって乱暴になってね、わたしでも昔塩がきいて三〇前後でしたね、とにかく十八歳から塩をうんと利かしたんです。だから、二十五、三〇なんて時分にはもう陽性も盛りでね、三〇人も人を使って仕事をしていましたが誰も彼も朝から晩まで叱り飛ばされているんですね。それはひどい陽性でしたよ。

―わたしのところで働いている人は朝から晩まで人を叱り飛ばしている人なんです。

桜沢 それじゃあ、きっと陽性が強い、肉が過ぎているからね。わたしのは塩が過ぎていたんですね。それでも三〇歳以後は塩を抜くことばかり研究していたのです。あなたがたには塩を取ることばかり考えてもらいたいですけどね。わたしは一遍塩が過ぎた人間ですから。どっちでも同じですよ病気は。塩が過ぎても灰汁が過ぎても砂糖が過ぎてもどっちもいけない。冷たさが過ぎても凍えてしまうし熱が過ぎても焼けてしまう。水火の中を行かなければいけない。

―でも、その人はキャンディーを食べるとすぐに顔が破れる、皮膚が破れる・・・

桜沢 それは陰性が入ったら誰でも・・・カミソリの跡でカミソリ負けってのがよくあるでしょう、男で。あれ皆砂糖が入ってるかバターがはいっているか陰性の物が入っているか入り過ぎているか動物性たんぱく質もしくは砂糖。だからわたしは顔を見るとすぐこの人は何を食べているかすぐわかる。

―先生こらは別の話ですけれど、非常に神経衰弱で少し変になりかけている人でもう5年もたっているような人でも治りますか?

桜沢 治ります。十年たっていても治ります。「

―精神が少し朦朧としてはっきりしないような人でも?

桜沢 今ここで一番の問題になっているのはシゾフレミーという病気ですね。精神病で時々非常に荒いかと思うともうこうしてじっとしたきり動かない。分裂症。これになったら絶対に治らないですよ。今それの専門のお医者さんが二人来ています。それがこの食養を教えだしてから自分でもやっているんですね患者に。成績が良いんだね。喜んでますよ。

―精神病を三年、五年やって困って入る人がいるんですが薦めてあげても治るものでしょうか?

桜沢 そう、あなたに愛さえあればね。愛がないと駄目ですね。それで人を治してみるのもまぁ三〇〇人治してみると一人前になりますよ。三〇〇人なんてわずかなことですよ。お医者さんは一年に何千人て診るんですから。わたしは一日に一〇〇人診た事がありますがね忙しい最中は。閉口しましたよ。陰陽が良く分からないと駄目なんだ。あなたがたは考えようとしないから難しいんです。あなたがたはあるくときにいつでも陰陽であるいているでしょう。右左右左。ものを診る時はどこか効き目で見ている。二つの目で見ている事はない。それはこの間証明しましたね。なんでもそうなんですよ。ものを聞くのでも利き耳というのがあってどっちかが動いていて片方は休んでいる。手でも右利きの人と左利きのひとといる。肺でも陰性になったら陽性になり陽性になったら陰性になるという運動を何にも命令もしないのにやっている。

―先生さっきのカイロプラクティックの話はどうなりましたか?

桜沢 それはあなたがたの批判がでないから駄目です。

―でないから教えて下さらないのですか?

桜沢 僕はものは教えない。ただ陰陽だけは教えますけどね、それを応用して判断をする事はあなたがたの仕事。それまで教えたらあなたがたは永久に奴隷になってしまうから。

―良い悪いが分からないですよカイロプラクティックが良いものなのか悪いものなのか。

桜沢 それは自分で判断しなければ・・・それができなかったらうまくない大変だよ。

―この間リマ先生が疎開した時に、うどん粉かきびの粉が陽性なのが陰性になったといわれていただどういうことかよくわからない・・・

桜沢 それはくさったら陰性になりますよ。腐ったらみな酸っぱくなりますよ何でも。そば粉は土曜を越したらもう駄目です。そば粉ってのは陽性ですから。空中からたくさん水分を吸いますからね、そして土曜になってくると熱がでてくるから自然に腐って酸っぱくなり使えなくなる。

―缶の中へいれていても?

桜沢 それはどんなことをしても駄目。それは天地宇宙の法則にはかないません。

―それではドライカントリーだったらそうならないのですか?

桜沢 ドライでも熱の変化でね、例えば日本から米を積んでインド洋を通ってヨーロッパへ行きますね、そうすると船の中でインド洋を通ってヨーロッパへ行きますね、そうすると船の中でインド洋をとおりましょう?インド洋は暑いでしょう?ところがハッチの中はぴったり閉めてあるから空気が流通しない。入ると百度以上の温度ですよ。なんにもしないのに・・・ただ米が吐き出す息だけでね。それで米の質はすっかり変わってしまって味が落ちてしまってね。
そば粉なんかとても送れません。カボチャの芯が苦いでしょう?苦いカボチャがあるでしょう?中のわたが・・・それは陽性が過ぎているからなんです。苦いっていう事は陽性なんです。ということを、だれも知らなかった。そしたらコロンブスは俺は知っていると言ってこつこつと卵の角を壊して立ててみせた。こんな訳で賭けを儲けた。実にコロンブスの卵よりまだ簡単なんです。陰陽の問題は。しかもそんなインチキはしないんだから。

―そば粉食べさせたんですか?

桜沢 そう、そばなんです。

―高価につきませんか?

桜沢 それがここでは高価につくんですね。ところがね欧州は輸入のそばが何万トンしなかった。それは四分の一の値段。これで支那という国の農業がいかに発達しているかわかるね。一反歩で四〇石取れるっていうのだからね。

―こちらで支那料理にそば粉を使いませんね?

桜沢 使いません、あれは奥地の料理ですから。支那の農業の写真を見ると驚きますよ。毛沢東の支那では茎の長さが六尺、その上を歩いても倒れない。えらいものですね。葦のような太さなんだ。それはもうだれも信用しないですよ。仕方がないから写真取り寄せて見せてやった。それで初めて日本の人も驚いた。日本の農業なんてとても・・・

―それは先生肥やしで大きくさせるんですか?

桜沢 肥やしは使わない。

―でも先生そばなんて荒れ地じゃなくちゃ育たないでしょう?

桜沢 もちろんそばは荒れ地に決まっている。肥料をやったらそばはできない。えらいもんですね、支那は。もう将来はソビエト、その次は支那が世界帝国になるでしょうねこの調子では。もうアメリカの負けたのは完全に分かっている。今度僕はおもしろい論文をひとつ書いたのですよ。二〇枚ほどタイプライターで叩き上げたんですがね。世界帝国米国の死亡診断書というタイトルです。米国は死んだと、恐ろしい題をつけたもんでしょう?それを見て皆喜んでますよ。これは酷いけれども愉快だってね。
ほんとうにこれ、国民の中の九〇〇〇万人が慢性病で登録されているのってこれはもう国家として成り立ちませんよ。その一人ひとりがですね、一日に十ドル支払っているとしたら三六〇〇億ドルになりますよ。日本の金にしたら一八〇兆円ですよ。それだけ毎年損している、もうそれはどうしようもないでしょう。しかも病院は五〇年前の二倍になっている。病院のベッドの数は。国民は二倍になっていない、ただ八割増えただけ。しかるにベッド二倍にしてまだ足りない。それは精神病がおおくなったから。精神病として二五〇〇万人あるというのです。本当に入院しているのは七〇〇万人あるそうです。
恐ろしい国ですね。だから僕はシネマに行って見るたびに思うんですがマンガが出てくるでしょう?もう実に幼稚というか奇妙キテレツな映画ですね。くだらない意味も何にも無いただ殴り合いして勝ったとか負けたとかいう。立派な精神病ですよ。何にも精神的な感情もなければ情緒もない。これはもう国民としては精神的には死亡しています。肉体としては九〇〇〇万人が病気しているんだからこれは死んでます。アイゼンハウアーは一九五五年の国会で、今生きているアメリカ人の中で二五〇〇万人はがんで死ぬことになっていると叫んでますよ。そしたらアイゼンハウアーの心臓の病気を看取ったポールホワイト博士ってのが昨年、米国は世界一不健康な国であると言った。もう完全に米国は死亡しているのですよ。
黄金文明、機械文明は完全に死滅した。特にソビエトがぐーっとのしてきて月の世界までとってしまったですからね。完全に負けた事を自覚している。これが黄金文明タイムイズマネー、マネーイズタイムという思想をもっているものの行く末ですわ。旅路の果てですね。その中であなたがたは大きくなったのですよね。おかげを被っているのでしょう?だからやがて巻き添えはくいますよ。オンザビーチという映画みましたか?見ていらっしゃいおもしろいですよ、一九六四年に米国が原子爆弾で完全に滅びてしまうところの絵が出てくる。だから僕は死亡診断書というのを書いた。

―あんまり物が豊富すぎるんですね。

桜沢 そう、豊富すぎるということは虚栄心が強すぎる、享楽が強すぎる。ぜいたくと享楽ですね。快楽を求める物、これが過ぎたのです。それでじたく乱費、その成れの果ての姿が今日の米国なんです。毎朝ゴミ取り屋の車をみてご覧なさい、高価な物がどんどん捨てられていくじゃないですか。あたらしい買い物袋が毎日捨てられて行くじゃないですか。
高いファイバーで作られた奴がね。タンスだのタイプライターの机だのまで持って行ってますね。ほしいような物もありますね。ガラスの書棚なんか良いのがあったよ。そういう事を言うんですね、そういうことを口実にして金儲けをしている。だけど国が滅びてもいいですか?
これが西洋文系というものの末期ですね。死亡診断、これを日本語と英語とフランス語で同時に発表します。

(つづく)

1995年10月号

2012/04/08

Cool Fusion クール・フュージョン

Cool Fusion  クール・フュージョン 
Excerpt from Cool Fusion by Edward Esko and Alex Jack
エドワード・エスコー、アレックス・ジャック共著クール・フュージョンからの抜粋

Alex Jack
 次の抜粋はエドワード・エスコーとアレックス・ジャック共著“Cool Fusion: A Quantum Approach to Peak Minerals, Nuclear Waste, and Future Metals Shock”(クール・フュージョン:ピーク・ミネラル、核廃棄物、将来の鉱物危機へのクウォンタム・アプローチ)(Amber Waves Press 2011アンバーウェブ出版2011年発行)からのものです。この書籍は下記のURLからご注文いただけます
www.amazon.com

 未来の科学史が記述される際、C.ルイ・ケルブランの名前はガリレオ、ニュートン、アインシュタインの名前と同等に位置づけられるかもしれない。1950年代、フランス人生化学者のケルブランはフランス政府の下でサハラ砂漠でのあるプロジェクトに関わっていた。極難の状況下で油井を掘削している労働者の一団を調査することが目的だった。真夏の炎天下での長時間労働は身体の水分を枯渇させる可能性があることは十分知られていたが、暑さに苦心しながらも労働者は何ら明らかな病状を示さず、日蔭のない鉄板の上で働いていた。6カ月間、ボランティア・チームは労働者が摂取・排出したもの全てを注意深く記録した結果、熱が高まるにつれ、労働者は摂取した以上のカリウムを発汗により体外に排出していたことが分かった。また、彼らが労働中、錠剤の形で余分に海塩を摂取していたことも分かったが、その追加摂取した塩は完全に排出されはしなかった。ただ最大の疑問点は発熱という形で取り入れ・排出されたエネルギー間の温度差だった。食事と太陽への露出を通じ、労働者は平均して毎日4,085カロリーを摂取した。同時に、彼らは1日、4.12リットルの汗を出しており、発汗にはリットルあたり540キロカロリーを必要とした。算数の等式によれば、これほどの大きな不均衡があれば労働者は低体温症で死んでいたはずである。

 ケルブランは次の様に説明している。「カリウムに転換することで消失したナトリウムが吸熱反応を発生させたという結論に至りました。従って、乾燥した暑い国では直観的に多量の塩が摂取されるため、アフリカ、中東などのでは塩が重用されているのです。キャラバンが1,000キロもの距離を移動し塩を持ち帰ってくるのはそのためです。」現代化学の基本的な考え方と矛盾するが、追加的に行われた実験ではナトリウムがカリウムに転換したことを確認した。事実、「有機体に真新しいナトリウムが注入されると、毎回それはすぐカリウムに転換する。」

 ケルブランは自らの発見を科学雑誌に発表し、それは現代マクロビオティックの創始者である日本人の自然哲学者、桜沢如一(ジョージ・オーサワ)の目に留まった。桜沢は直ぐにその意義を理解しパリを訪問、ケルブランに会い、彼の研究を本に書くよう促した。それは「生体による原子転換」とその後出版された「自然の中の原子転換」、その他の著作に結実した。ケルブランは低エネルギー核融合という新興科学を「生物学的元素転換」と命名した。後に生理学分野のノーベル賞にノミネートされたケルブランは、自然界、特に植物や動物の個体内では、低エネルギー核融合を通じ元素が結合し新しい元素を生み出していると提唱した。元素転換は低温、低圧、低エネルギーの状況下で2つの原子核が融合することで発生する。ケルブランは、二つの「原始」元素を自然な環境の下融合させることで新たな「子孫」元素が誕生すると考えた。例えば、次のような仮説が挙げられる。

・ナトリウム(Na)と酸素(O)の低エネルギー核融合を通じカリウム(K)が生成される:11Na + 8O 19K

・炭素(C)と酸素(O)の低エネルギー核融合を通じケイ素(Si)が生成される:
6C + 8O 14Si

・カリウム(K)と水素(H)の低エネルギー核融合を通じカルシウム(Ca)が生成される:19K + 1H 20Ca





 東京に戻った桜沢は研究室で元素転換を証明するつもりでいたが、どのように進めていけばよいのか途方に暮れていた。実験モデルの確立に失敗を重ねた後、桜沢はその解決策が見つかるまで7号食と瞑想に入った。ある晩、彼は夢を見た。空の雲の合間から大きな手が表われ、指の先から稲妻が走り、目も眩む明るさで地表に落ちた。稲妻が地面を打つたびにそれは爆発し、新しい元素を生成した。桜沢は夢から覚め、問題の答えを発見した。元素転換を起こすためには電気が必要だということを。

  桜沢は友人である一流大学の教授と連絡を取り、実験装置を設置するための協力を求めた。ごくシンプルな道具を使い(図1)、真空管の両極にそれぞれ陽極と陰極の電極棒を取り付けた。電極に電線を付け、真空管内に2.3mgのナトリウムを入れ、その真ん中に酸素を含んだ電球を設置した。電線に電気を流し、暫くするとナトリウムは溶解し液体、気体へ変わり、最終的にプラズマ状態に変った。真空管の前にプリズムを置くとナトリウムから放たれる波長の投影色であるオレンジが観察された。その時点で弁を開け、真空管内に酸素を注入した。伝統的な東洋の哲学を理論的基礎とすると、ナトリウムは陰性(柔らかく、拡散的)な酸素と比べ陽性(固く、凝縮的)であるため、2つの元素間で核融合が起こったことになる。化合物内の場合とは違い、2つの元素は結合せず、代わりに互いの原子が融合し新しい元素を生成した。その瞬間、プリズムを通じて放たれた色がオレンジから紫に、陽性から陰性に変化した。実験の結果、2.3mgのナトリウムと1.6mgの酸素を融合させることで3.9mgのカリウムが生成されたのである。




 この実験によりケルブランが調査した労働者が体内でナトリウムをカリウムに変換できた方法が説明できた。彼らは塩という形でナトリウムを摂取していた。酸素は大気中に豊富にある。労働者が懸命に働き激しく呼吸していたとすれば、体内には大量の酸素が充満していたことになる。彼らは若く、活動的で、暑く陽性な環境下で激しく陽性な仕事をしていた。彼らの身体は真空管を通し放電された状態に類似した非常に高い電磁場エネルギーで満たされていたのである。自然界の根本的な原理の一つに、極限状態では陰性は陽性に、陽性は陰性に転換するというものがある。様々な要因が合わさった結果、彼らの体内でナトリウム(陽性)がカリウム(陰性)に変化した。その後、桜沢は続けて革新的な実験を行い、炭素から鉄を作りだし、微量だが金やプラチナなどの希少金属を作りだした。

 分光器を用いた色波を観察することで主要な元素のスパイラル配列が可能となった。約8,0005,000オングストロームが陽性の元素の範囲であり、約5,0003,000オングストロームが陰性の範囲である。この図によれば、軌道上の反対に位置する元素、例えば水素(H)と酸素(O)は陰陽それぞれが互いに引き合うという原理により容易に結合する。一方、同様の位置を占める元素、例えば水素(H)とヘリウム(He)は、温度、圧力、性質など技術的な変化が適用されない限り結合は難しい。




 周縁部にある元素、例えば水素(H)やヘリウム(He)は陰性であり軽いが、中心部にある元素、例えば亜鉛(Zn)や鉄(Fe)は陽性であり重い。最も中心に近い場所に位置する元素、例えばウラン(U)は放射性であり、太陽系において太陽が外側に向かいエネルギーを放射するのと同様に外側の軌道へと戻る傾向がある。最も調和が取れた元素は第4軌道上にあり、その中の幾つか、例えば鉄(Fe)、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)は磁気を帯びている。

 図から分かる通り、軽い元素は重たい元素に向かい徐々に転換していき、重い元素は逆に軽い元素へ転換していくが、自然にそれが行われる場合、数千、数万年を要する。周縁部の元素の転換速度は中心部の元素よりもかなり遅い。

 陰陽による正確な元素分類図が考慮されるべきであり、それと共に化学反応の性質、氷結、溶解、沸騰温度などを含め分光学的観察もなされるべきである。元素の陰陽という性質を知ることで変化の秩序だけでなく、あらゆる現象(化学的、生化学的、地質学的、生物学的な現象)の理解が深まる。久司道夫(1926年~)は桜沢の下で学びアメリカにマクロビオティックを普及した人物であるが、彼はどのような方法で元素転換がスパイラルな宇宙形成を直接的に描写しているのかという点を無限の世界から物質界に至る7つの段階を通し考え始めた。桜沢と協力し久司は、陰性から陽性に図を調整し、包括的な元素スパイラル図を作成した。


 この図は現在の周期表よりも実用的、機能的、現実的である。元素は実際には連続的段階であり、それぞれの元素は別々に分離しているわけではない。互いに独立して存在しているのではなく、スパイラルな変化の過程にある。数十億年の月日を要するかもしれないが、水素原子もやがて重たい原子へ変わっていく。それが最も重たい(放射性の)状態に到達すると、逆に最も軽い水素原子へと転換し始める。拡張から凝集、凝集から拡張への動きは自然界の至る所で起こる。原子と元素の反応は無現の変化の秩序である。


 元素転換に関する久司による執筆集は後に “The Philosopher’s Stone”にまとめられ出版された。過去数世代に渡り、テキサス大学やインドのバーバー原子力研究センターなどその他の研究所の研究者たちは、ケルブラン、桜沢、久司が行った独創的かつ将来性のある実験のいくつかを再現してきた。冷戦の間、アメリカ軍科学者は生物学的元素転換理論を実験し、細胞から細胞へ、原子から原子への物質の平和的転換を実証した。後に極秘扱いとなったアメリカ陸軍の研究においてもその将来性を提唱していた。

ケルブラン、小牧、その他の科学者の研究を調査した結果、そのような元素転換(NaからMgKからCaMnからFe)を認めるとすると、エネルギーの純増も観察されたことになる。提唱されたメカニズムによると、細胞のミトコンドリア内にあるアデノシン三リン酸マグネシウムはエネルギー生成体として二重の役割を果たすとされていた。広く認知されたアデノシン三リン酸マグネシウムの生化学的機能によれば、それは部分部分に分解する際にエネルギーを生成するが、それに加えて、分子規模でのサイクロトロンでもあると考えられている。アデノシン三リン酸マグネシウムは、層ごとに順番に配置されることで、サイクロトロンの発明者、アーネスト・O・ローレンスが提唱した必要条件に適ったあらゆるサイクロトロンの特質を備えている。結論として、生命体内で元素転換は実際に起っており、おそらくエネルギーの純増も確認されたのだろう、ということが言える。

 元素転換を経てきたと報告されてきた比較的入手が容易な元素の大量供給と、それに伴い起こりうるエネルギー余剰は、無限だと考えられている新しいエネルギー源が近い将来に利用可能になることを暗示している。

 化学界において元素転換の発見は、他の科学に変革を迫った革命的な洞察に匹敵するものである。ガリレオ、ニュートンなど17世紀の自然哲学者は、地球が宇宙の固定された中心ではなく、常に変化している宇宙の小さな惑星であることを証明した。19世紀にはダーウィンがそれまでのドグマ的黄金期を打ち破り、種は一定不変なのではなく、進化、あるいは共通の祖先に遡ることができ、将来は新たな生命体に変化しうることを示した。

 化学元素は静的であり原子分裂、水素融合、その他のハイテク方法を利用する以外に元素転換は不可能だとする近代信仰は、マンハッタン・プロジェクト、スーパーコライダー・プロジェクト、その他、原子の秘密を解き明かそうとする複雑かつ法外なキャンペーンへと展開していった。同じく見当違いかつ無駄な努力がヒトゲノム計画に向けられ、その想定する所では遺伝子は固定的かつ継続的であり、ある特定の病気と不秩序の誘因となるとされている。実際には遺伝子は、ダイナミックかつ相互作用的であり、我々の健康と運命に影響を及ぼす肉体的、精神的、霊的、環境的要因の複雑な網の一部である。

インドのバーバー原子力研究センターは桜沢如一が行った幾つかの実験を再現し、インドにおける元素転換研究を先導している。
 こうした複雑かつ破壊的な方法に頼らず、ありふれた普通の元素や化合物を活用する単純かつ平和的な方法を通じ、安価な再生可能エネルギーを豊富に確保できる。常温核融合は元素転換の稀な例に思える。寒さ(極陰要素)の導入は収縮(強陽要素)を引き起こし、電子や他の粒子が極端な低温で凝縮し、新しい結合を形成し、余剰熱を放出するにつれ、ある種の元素の質量、重量、電荷が変化する。

 平和的な自然の元素転換の発見は、破壊的かつ人工的なエネルギー生産の代案を提供する。原子転換は自然界で起こっており、原子を攻撃し破壊せずに模倣可能である。ロッキャー、ラムセイ、ケルブラン、桜沢、久司、その他元素転換のパイオニア達による研究によれば、物質は固定的かつ静的ではなく、ダイナミックかつ変化に富んでいる。原理上、あらゆる希少元素は安全かつ容易に手に入る元素から生成可能である。この点に関して本書では最も直近の出来事を取り上げている。クウォンタム・ラビットは2005年に創設され、19世紀、20世紀のパイオニア達の研究を継続し、21世紀の問題を解決する支援をすることを目的としている。

 この新しい科学は原子力の発見と利用に暗い影を落とし、科学と技術を変革し、人類の新時代の扉を開ける可能性を秘めている。この知恵が適切に理解され応用されるならば、平和な時代と前例のない繁栄に貢献するだろう。基本的な理論が証明されている今、残された課題は実用的かつ大規模にそれを開発する方法にある。万人のための物質的豊かな世界の創造に加え、我々は今や過去の物質的豊かさを一掃することができる。量子転換により、あらゆる有害な元素は安全かつ安定した元素に転換可能であり、これは環境を汚染してきた農業・工業で使用された重金属元素についても言える。ヨウ素131、セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム239、ウラン235などの放射性元素は、その半減期が数年、数世紀から数千年、永遠に近いものまで様々であるが、それらも無害なものへ転換可能である。

 本書で紹介した原理は、このジレンマに対する単純かつ実用的な解決策を提供する。原子の平和的転換は、アインシュタイン、オッペンハイマー、原子爆弾を作った初期の科学者、アイゼンハワーやケネディ大統領、冷戦時代に生きた全ての人物にとっての夢であり、社会自体を転換し、地球を守る上での鍵となる可能性を秘めているのである。


クール・フュージョン
レビューbyピーター・ドッゲン

ジョージ・オーサワ(桜沢如一)がフランス人科学者のルイ・ケルブランと連絡を取ったのは60年代の後半だった。ケルブランは既に1962年にフランス語で小冊子Transmutations Biologiques: Mètabolismes Aberrants de l’ Azote, le Potassium et le Magnèsium(Paris: Librarie Maloine S.A.)を出版し、生物学的反応による原子の常温核融合の可能性に関する自身の見解を述べていた。久司道夫もケルブラン理論に関心を持ち、The New Discovery of the Transmutation of the Atom (Macrobiotics Study Report, vol.1 , July 1965, East West Institute Cambridge)を出版した。ジョージ・オーサワとケルブランは連絡を取り合い続け、1971年にBiological Transumutation: Natural Alchemy (George Ohsawa Macrobiotic Foundation, Oroville, California)を出版した。

 ケルブランが研究を続ける間、生物学的元素転換の考えはマクロビオティク界で大きな激震を生み、このテーマは講義や研究仲間の間で話題に上がっていった。久司道夫の下で学んだ2人の研究生、アレックス・ジャックとエドワード・エスコーがこの新しい錬金術の研究に特に関心を持ち、1994One Peaceful World Pressより久司道夫とエドワード・エスコー共著の小冊子The Philosopher’s Stoneが出版された。

最近、ケルブラン、ジョージ・オーサワ、久司、エスコーの考えを深化させ、それに新たな洞察を加えたエドワード・エスコーとアレックス・ジャック共著の新刊Cool Fusion: A Quantum Approach to Peak Minerals, Nuclear Waste, and Future Metals Shock (Amber Waves, Becket, 2011)が出版された。
同著は先ず、この画期的な研究分野において鍵となる人物と用語集を紹介している。

序文 “The Gentle Art of Transmutation”においてアレックス・ジャックは、新技術の急速な開発が異常なまでの贅沢・浪費文明を生み出した一方、他方で苦痛と病気の温床となったと説明している。そして、この開発自体が文明そのものを急速に劣化させていると主張する。現代文明の土台となる原料を獲得する方法が別に見つかるならば、地上から不幸がなくなり、この世界を健康で平和なものに変えることができる。地上に天国を創造する事さえできるのである。

 この天国・楽園の希求は人類の歴史ほどに古い。不十分な調査ではあるが、ジャックは歴史上の様々な時代において新旧の錬金術師が物質のきわだった特徴を発見したことを指摘し、どのようにそれを解釈すれば良いのかを説明している。こうした発見の結果の大部分は今も未解決のままであり、謎に満ちている。

 今日クール・フュージョンという言葉がホットなトピックであるように、ごく最近、我々は高温核融合と常温核融合という概念を知ることになった。クール・フュージョンとはニュー・サイエンスであり、「原子力の発見と利用にストップをかけ、科学と技術を変革し、人類の新時代の扉を開ける可能性を秘めている」(本文47頁)。

簡単な序論においてエドワード・エスコーは、1964年に発行されたジョージ・オーサワ著「最後の手紙」を2009年に読んだ後、自身の研究を続け、近い将来彼の研究を完成させると決心した。エスコーはこの分野のパイオニアでもあり、1975年にジョージ・オーサワが発見した内容に関する講義を行っている。彼は著書クール・フュージョンの中でマクロビオティックの研究者グループにより既に行われた研究を検討している。

続いてクウォンタム・ラビット・グループの研究所において行われた10におよぶ詳細な実験結果が報告され、その後に2章が続く。

そのうちの最初の章 “The possibility of plutonium reduction”においてエスコーは、放射性廃棄物の再利用を回避する方法の紹介と、この非常に毒性の高い廃棄物とウランを2つのそれほど危険ではない元素に転換する過程について議論している。

次(最後)の章 “Lessons from Japan’s Nuclear Crisis”では、原子力産業が廃棄物を削減する方法を迅速に見つけ出すべきだと指摘し、それはおそらくクール・フュージョンという手段を通じ可能であると述べている。

この本を読んで私が感じた事は、50年が経過しても現実上、何ら大きな進歩が見られていないということである。生物学的元素転換は錬金術のようなものであり、我々誰もが知っている通り、科学は錬金術を馬鹿にしている。ウィキピディアでもそれは確認できる。http://en.wikipedia.org/wiki/Biological_transmutation

クウォンタム・ラビット・グループが行った実験の未来は明るい。アメリカのスチューデントに宛てたジョージ・オーサワの最後の手紙を読んだ後、エドワード・エスコーは彼に約束した。「ジョージ、僕たちはベストを尽くすよ。50年以上に渡りあなたが教えてきた全てを抱合する原理(無双原理、PU)がこの世界の健康、平和、幸福の鍵を握っていることを僕たちは学んだ。僕たちが生きている間、人類の健康と幸福にとって不可欠だと僕が信じる分野でPUを発展させることにベストを尽くすつもりです。将来の世代に紡ぎたいと僕たちが願うこと、それがこの夢です。」

Cool Fusion: A Quantum Approach to Peak Minerals, Nuclear Waste, and Future Metals ShockAmberwaves, P.O. Box 487, Becket MA 01223, July 2011より発行されています。詳細はこちら(shenwa@bcn.net)までご連絡ください。


又、桜沢如一資料館により現在同著を翻訳中です。出版の際には資料館サイトおよびFacebookページにおいてお知らせ致します。翻訳本に関するお問合わせは資料館サイトボランティア調査隊募集と資料提供のお願い」【連絡先】からお願い致します。編集部では対応しかねます。


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Cool Fusion  クール・フュージョン 
Excerpt from Cool Fusion by Edward Esko and Alex Jack
エドワード・エスコー、アレックス・ジャック共著クール・フュージョンからの抜粋」は日本CI協会・編集部が和訳したものです。

GOMFの連絡先は下記となります。

英語版を読みたい方は下記のウェブサイトをご参照ください。
http://ohsawamacrobiotics.com/



 





2012/04/06

判断力の7段階

桜沢の判断力の7段階

それを見ると第七段階目に最高判断力とある

それを一見した人はそれを目指せばよいことに直ぐ気付くだろう

そして、その第七判断力を最初から実践するという無理・苦行を行うことになる

頭の良い人であればあるほどそのような誤りに陥ってしまう

なぜ「段階」と呼ばれているのか、その意味を理解しなくてはならない

一番下に来るのは盲目的・機械的判断力

何の判断もなく、ただただ快楽、欲求に従うままである、最も低次元の判断力

次に来るのは感覚的判断力

いわゆる優れた直感ではなく、劣った直感である

5感に頼った判断力で、一見すると誰にでも共通な感覚に訴えるため共感を呼ぶが、感覚に囚われ第6感を全く無視した判断力であるため、低レベルに留まる

感情的判断力は感覚で受動したものを表に向い表現する、能動的なものである

たとえそれが内なる感情であろうとも外なる感情であろうとも、その表現において採る判断の結果の表象であるのが感情的判断力である

簡単に言えば感情の起伏が激しいことそれ自体と、たとえ激しい感情起伏であっても調和のためのコンパスがない無秩序の状態は感情的低判断だとみなしうる

逆に感情の起伏を自らの陰陽というコンパスによりコントロールしうる物がこの段階における判断力を持つものといえる

次に来るのは知的判断力である

知性が優れている者、頭がよいと一般に言われている者が該当し、いわゆる学術的な頭の良さ(アカデミック・スマート)について言える

よく考える者、感情の根源を探り、されに対処できる者は往々にして頭でその感情を対処しようとするが、それはこの段階における判断力としては低い

むしろ、感情をあるがままに受け止め、それの起伏・浮沈を自ら頭によるのみならず、体感として楽しみ判断することが出来る者こそが、この段階において高判断力を持つ者と言えよう

アカデミック・スマートに対比し、ストリート・スマートという言葉があるが、それが次の判断力の段階、社会的判断力である

社会的判断力とは知的であるがそれに囚われず、より巨視的に自らを社会の一員として捉えることが出来る力がある者をいう

この段階の社会を自らの活動範囲における社会、つまり知的に把握しうる範囲においてのみの社会に限定している内は低判断力のままである

むしろその範囲を超える陽性さを持ち、みずから前に前に進み、自らの無知を正直に認め、社会の範囲を広げていく気骨がある者にのみ、この段階におけるより高次の判断力を養う土壌があると言えよう

そのためには自ら経験という連続的挫折と復活を経る必要がある

社会をより巨視的に、より全体的に、そして客観的に判断することができるようになれば、そこで活動している人間という存在の未知なる神秘を発見することになる

そしてその神秘さゆえに、現実的な世界を内包するさらに高次の超越的な世界が存在するのではないかと疑い、疑問を持ち、好奇心を喚起されることになる

それはより哲学的、思想的な判断力につながり、この現実界を動かす根源的な原理・原則とは何か、という問題を意識する段階に到達する

その結果、より神秘的で見えない存在、5感という感覚ではわからず、知的に考えてもその範疇をこえ、社会を動かす何かの存在を認めざるをえなくなり、その何かを求め、過去の巨人の思想・哲学にそのヒントを求めようとする

その方法は読書を通じてかもしれないし、過去の巨人を知る人物との会話の中にそれを探ろうとするのかもしれない

この思想的な判断力を自らの経験により向上させていくと、この世が全て対立・相補的な世界の産物であることに気づくにようになる

そして、この世界を支配する原理・原則の変数として機能する陰・陽という存在を認めざるをえなくなる

また、この世界がどこまで行っても有限であり、全てはあらゆるものの因果関係に束縛されるということを自覚することになる

その経験を経ずして、第七の最高判断力には至らない

第七の段階において、そこはもはや有限を越え無限に、相対を越え絶対に、陰陽という2変数を越え一の決して変わることのない一元論に集約されることになる

この最高判断力を持つ者はこの現実界を陰陽と言うコンパスを使い自由に楽しく生きることができる

それは目に見える形でもあれば、見えない形でもある

全ては表があり裏があり、表が大きければ裏も大きく、普遍的に変わらないものは決してなく、全ては相対的に移ろい変わるものであることが分かる

それを自ら自覚するためには経験をしなくてはならない

頭だけで分かっているうちは第四段階に留まる

全ての判断力の段階にも陰陽があり、その段階にも段階がある

そしてより高次の判断力に至る唯一の道は、地道にそれを自らの人生において経験していかなければならない

決して焦ることなく現実・相対世界の判断力の段階を高めていくことが必要である

2012/04/03

陰陽で政治を考える

日本の政治は多くの問題は抱えています。

・原発再開について
・消費税の増税
・沖縄の米軍基地移設 など

これたの問題について繰り返し議論は行われていますが
なかなか結論が出ない状況です。

結果のみにとらわれず、
原理についての理解を高める必要があるのではと思います。