2012/12/10

Eight Macrobiotic Principles from Macrobiotics: An Invitation to Health and Happiness(マクロビオティックの8つの原理)



ヘルマン相原


マクロビオティックとは何でしょう?それに対する考えは無数に存在しますが、ここに挙げるのは私が考える最も基本的な8つの原理です。

1.    Ecology
原始的に肉食の西洋世界ではこの言葉(Ecology)は新しい言葉です。エコロジーという言葉が今日これほど有名になったのは、汚染や「過剰人口」に対する西洋人の恐怖が原因でしょう。この恐怖とはコインの反対側にある「自然征服」というメンタリティーにあたります。原始的に菜食の東洋において人々は自然との調和を図ろうとする傾向がありました。「エコロジー」という言葉も少なくとも4千年の歴史があります。中国では次の4つの文字によりそれが表現されてきました:

身土不二。肉体と土は二つではなく、一つである。

土は植物を生み出し、それは動物により食され彼らの血、細胞、神経組織、臓器となります。動物である人間は土の化身です。「人間、この未知なるもの(Man, the Unknown)」において著者のアレキシス・カレルは、「人間は文字通り土埃から生まれた。そのため、人の生理的、精神的活動は、その人物が居住する国の地理的構造と、彼(女)が食する動植物の性質に大きく左右される。」と述べています。

 人間は自分が生活する環境の周辺で収穫されるモノ、願わくば自ら育てた食物を常食とすることで健康と強健を保つことができます。人間は最も自由な動物であり、どんな気候にも適合できます。ところが、単に生き続けようとする場合でも我々はある種の要因(気温、水、砂糖、ミネラルの水準など)を一定に保つ必要があり、また、健康になるためにはさらに一層の努力が必要となります。従って、生理的、精神的なコンディションを一定に保つために最適な食べ物とは地元で育てられた食べ物なのです。

2.     Economy of life
 自らの幸福にお金が不可欠だと考える現代人は、お金の経済(マネー・エコノミー)を喧伝しますが、多くの人は自らのお金を貯蓄し命を絶っています。実際にお金は我々のある種の基本的なニーズを充足させることで幸福をもたらしますが、我々がそうした満足に飽き足らず、欲を張りさらなる慰め、利便性、娯楽を求めることで自らの幸福の喪失を招いています。

 例えば、過去4050年の間、農家の大多数はマネー・エコノミーという慣習をベースに殺虫剤や農薬を使用し収穫量を増加させ、それが大きな利益につながることで自らの欲望を満足させてきました。これは命の経済(Economy of Life)とは言えません。
  
殺虫剤は肥沃な土壌に不可欠な多くの生物を殺します(それはその土壌の産物である健康な植物や動物にも当てはまります)。農薬は土壌を酸化、弱体化させます。より多くの利益を求める短期的な大規模収穫へ過度に傾斜することで、自然の命のパターンが乱れ、自己破滅の様相を呈しています。また、そのような不自然な慣習は、いずれ土壌を過度に弱め、利益さえも減少させることになります。つまり、長期的には命の経済もマネー・エコノミーに変わることになるわけですが、その逆はありえないのです。輪作の実施や有機農薬(我々が食せないものを土に返すこと)を使用することで、我々の身体を剛健に保ってくれる食物の継続的な供給が十分に保障されます。命の経済は我々の食生活にも「無駄なく」活かせます。(禅僧が一粒のお米を台所に残すようなことがあれば当然厳しく叱責されるでしょう)。無駄にする食事が少なければ、その分を他の人に与えることができます。それこそ「人口過剰」問題に対する最も明白な解決策でしょう。アメリカの小売店、レストラン、家庭で廃棄される食べ物の量は驚くべきものがあります。

 我々が口に入れる食べ物という点に関して言えば、命の経済は主にホールフーズ(全体食)を食すことで体現されます。食べ物の一部だけを食すと、我々の身体は栄養失調に陥り、新陳代謝も乱れてしまいます。例えば、魚を丸ごと全部(尻尾、骨、頭、その他)食べるでしょうか?もし魚の身の部分だけ(タンパク質と脂肪が豊富)を食していれば、血液は酸性になりますが、他の部分(カルシウム、マグネシウム、ヨウ素、その他のミネラルが豊富)も食していれば、体の酸性をより簡単に中和することができます。肉食動物が不調を抱えることがない理由の一つは、全体食にあります。(もう一つの理由は活発な活動量にあり、その結果、食したモノから身体が必要としているモノへの転換が促進されます。)

 精製糖や他の合成化学物質は全体食ではないため我々の健康に資することはありません。「純(pure)」であるため有害なのです。穀物、野菜、豆、果物、ナッツなどに由来する砂糖(あるいは地元で栽培され加工されていない蜂蜜でさえ)を食すと、砂糖を消化するために必要となる多くのビタミンやミネラルも同時に摂取していることになるのです。

 全体食の一部を捨て去ることで発生する同様のことが小麦胚芽、ビタミン錠剤、精白粉、精製塩などにも当てはまります。例えば典型的な例として精製塩を挙げると、それはナトリウムと塩素以外(合成ヨウ素でヨード化されていない限り)ほとんど何も含有されていませんが、「無精製」塩は他のミネラル(ヨウ素も含め)が多数含有されています。

 この最初に掲げた2つの原理(エコロジーと命の経済)はおそらく自然な食事と農業に要約できそうです。つまり、加工されていない地元で栽培された全体食を食すことを通じ自らの身体を養い、我々が食べ物として使えないモノを土に返す。この2つを通じ(もともと1つであった)人間と土を健康で一つの全体として保つことができるのです。

3.    The Yin-Yang Principle
 陰陽論はコンパスです。東西の方角を示すコンパスが地理的な方向を示してくれるように、このコンパスは人生の方向を私たちに示してくれます。陰陽論(無双原理)は便利なツールです。それは無限の宇宙のなかで自分がどこにいるのかを見つけ出す手助けとなり、自分が摂る食物とそれが自身の身体と心に与える影響を分析することを可能とし、私たちを幸福に導いてくれます。

 あらゆることは陰陽の観点から分析が可能です。別の言い方をすれば、この絶えず変化する世界におけるあらゆる物事は相対的だということです。例えば色について考えてみます。この全宇宙は絶えず揺れ動いている陽と陰の電荷を持つ電磁フィールドであり、電磁波を作り出しています。これらの波長のいくつかは神経系によって感知され、私たちが「色のスペクトル」と呼ぶものに変換されます。
 
可視光線:紫外線-------オレンジ--赤外線
 
赤は私たちを暖かく、興奮(動き)させます。これを「陽」と呼びます。遠心性(膨張性)と求心性(収縮性)は相対界に最初に現れる二つの力であり、あらゆるものを生み出す力です。この二つをそれぞれ「陰」「陽」と呼びます-ただ、反対の性質(対比)を表す二つの言葉が他にあればそれを使っても問題はありません。観察、論理、直感により私たちは次のモノを陽に分類します。時、動、内、男、動物などです。そして、次のものは陰に分類します。宇宙、休、外、女、植物などです。紫は心を静めてくれるため、これを陰と呼びます。しかし陰と陽は常に相対的な言葉であるため、例えば青は緑より陰と言えますが紫よりは陽と言えます。植物の世界は(クロロフィールの認知を通じ)緑で表され、動物は(ヘモグロビンを通じ)赤で表されます。男性の生理的スペクトルは赤~黄に分類され、陽性です。そのため-特に陽性の食べ物を多く摂取したときは-陽は陰を引き付ける(陰は陽を引き付ける)ため陰性の食べ物を食べたくなります。

 次の表は食べ物の陰陽観の概略と、食べ物について述べる際の手段である色の対応表です。陰性の食べ物と陽性の食べ物は切り離せない関係です。この表は画一的なものではなく、例外もいくつか含まれています。陰の方に分類される食べ物は、より陽性が強い分類の中では他の食べ物より陽になります。例えば、ゴボウは根菜であり豆よりも陰性な食べ物ですが、大豆は陰性な豆で、ゴボウは陽性な根菜であるため、大豆はゴボウよりさらに陰性な食べ物となります。
 
表)
-合成薬-天然薬-砂糖--イースト-はちみつ-果物--ナッツ-葉菜-根菜-豆ー穀物--味噌--醤油-未精製塩----精製塩-

-紫外線-------オレンジ--赤外線-

 乳製品をこのように分類するのは非常に難しいですが、それは乳製品のなかにも陽性が強いもの(ヤギ乳、ヤギチーズ、ロックフォールチーズ(羊乳でつくる香りのとても強いチーズ)、エダムチーズなどは味噌と同程度の陽性さを持つ)もあれば、陰性が強いもの(はちみつと同程度の陰性さを持つクリームやヨーグルト)もあるからです。牛乳やチーズ、バターなどはこの間になります。アルコール飲料の多くは陰性が強い(砂糖と油の間)ですが、なかには(自然発酵させた酒やビールなどは)果物と同程度の陰性しかないものもあります。また、アルコールは砂糖と比べ人体へ影響を与えるスピードがはやいですが、たいていは1、2日で抜けます。一方、砂糖の影響は最低でも通常1週間は続きます。砂糖の影響はそれほど顕著ではないですが、長い時間続くという点も指摘しておきたいと思います。

 男性の生理学的スペクトルは通常、黄~赤色と指摘しましたが、頻繁にあるいは多量に「緑」の食べ物(果物や緑の根菜)や「青」の食べ物(油、イースト、はちみつ)を食べなければ、体調のバランスを維持することはできます。同様に、未精製塩よりも陽性なものは全て-個々人や常に変化する多くの環境因士に依存されつつもそれほど頻繁に摂取しないのであれば一般的には害はないですが-この気候風土上、乳製品と同様に健康に資するものではありません。当然、表にある通り、油よりも陰性が強いものは厳しく避けられるべきであり、合成薬はその最たるものです。

 これまで述べてきた陰陽原理に基づく示唆は、エコロジーと命の経済に密接に関係しているため非常に興味深いものです。例外のように思われるもの(天然薬)であっても、我々の風土ではそもそもそれが殆どないため、まったく例外ではないのです。その大部分は合成されたものか、輸入されたものか、南国の方の種を植樹したものかの、いずれかにあたります。輸入はエコロジー(地元の食物)に反し、種の移動も同様です。植物の食習慣を急激に変えることは自然に反します。南国の種が温暖な気候に順応するには、仮にそれが可能であったとしても、通常2・3百年かかります。種を当地に移し植樹した植物の方が、原産地から直接(植物を)輸入した場合よりも明らかに弱々しくなるのは理由の一つがそれです。

 精神を陰陽で見てみると、陰性の食物は陰性の感情や考え(不安、疑念、欺くなど)を招き、陽性の食物は感情や考え(敵意、騒がしさ、無愛想など)を招きますが、良いバランスが取れれば調和と平和へ私達を導いてくれます。

 ではどのようにバランスよく食べればいいのでしょうか?
 
 極端に寒い気候(そこでの主食は肉と魚)を除き、穀類と野菜類が健康な人間に最も近い食べ物であるため、私達の主食となります。もし暖かい気候で魚を食べたら、そのバランスを取るために多くの生野菜、さらには果物も必要となります。極端に寒い気候にいる場合を除き、陽性が強い肉とのバランスを取るためには多くの果物やハチミツが必要であるため、その(肉の)摂取を控えるようにします。また、先掲した表の中央にない食物を多量に食べるのを避けます。砂糖は非常に陰性が強いため、そのバランスを取るのは不可能ですが、ハチミツは有機栽培で化学肥料が使われていないのであれば-特に暖かい気温であれば-たいていの人には害がないため時々は食べても良いものです。(1スプーンの蜂蜜は56個のりんごより陰性です。頭に入れておくべきことは、量は質を凌駕するという点です。量が多いということは、少量よりも陰性です)

 南国や夏の気候では塩、魚、穀物をそれほど摂る必要はなく、水や果物やナッツをより多く摂る必要があります。
 食物を陰陽で分析するには多くの要因を考慮しなくてはいけません。例えば、原産地の気候(暑い気候は陰性の食物を作り、その気候に適応するために食物と私達人間は陰性になる)、作物のできる方向や場所(土より上に育つものなら陰性)、成長のスピード(速ければ陰性)、密度(高ければ陽性)、形(丸く、小さく、コンパクトなら陽性)、元素の種類(NaCHは陽性、他の多くは陰性)などがあります。

 時間、熱、圧力、塩には陽性の力があり、これらは全て赤の波長へ誘導します。これらを使うことによって、非常に陰性の強い食べ物を摂取したとしてもバランスを保つことができます。また、陽性の弱いものと陰性が強いもの(香辛料、水、果物など)を使えば、かなり陽性が強い食物も食べることができます。マクロビオティック料理とは、食物の美味しさと、それが体や心にどのような影響を与えるのかを私達が楽しむためのテクニックなのです。

 陰と陽のバランスを上手くとることが私達の目標であり、私達の道標となります。多くの人はバランスが崩れ陰性になっているため(時には陽性に傾き過ぎている場合もありますが)、陽性に戻そうと努力しますが、そのためには陰性を摂ることもたまには必要になります。「一歩下がって二歩進む!」「度を超した窮屈な節制に固執してはならない。」(易経)幅広いガイドラインが成功の鍵となります。一口ごとの食物を注意深く分析したり、食物の選択を余りに厳格にし過ぎると、その反対を引き寄せます(混沌―放蕩―バランスの喪失)。もしここ5年間、肉や砂糖あるいは(特に)薬を飲んでいたら、先掲した表の油から未精製塩までの地元で採れた食べ物を全体食として食べるだけで体は大いに変わります。そして、リラックスし多様な食事を楽しむ余裕が出てくるでしょう-それを通じ食習慣のバランスが保てるだけでなく、体や心の変化に徐々に対応することもできるようになっていきます。

4.    Transmutation
 マクロビオティックは他の西洋の食事法や栄養論とは異なっていますが、その理論が転換理論に基づいているからです。転換という概念は東洋で何千年も教えられて来ました。易は転換-変化-の教えそのものです。般若心経ではあらゆる現象はワンネスが変化し出現したものだと教えています。

 生物学的原子転換理論はL.ケルブラン氏とGOにより命名されました。GOは自ら翻訳した本の簡約で次の様に述べています。「13年に渡る実験と観察の結果、ケルブランとヴァランガー教授(パリの工芸学校の教授)は、生体において元素は別の元素に転換するという素晴らしい結論にいたった」。ナトリウムはカリウムになり、カリウムはカルシウムに転換します。ナトリウムはマグネシウムになり、ナトリウムは一酸化炭素に転換する等が観察されました。こうした現象的変化が生体内で起こるのです。

 2千年もの間、原子は安定した基本的な単位と考えられて来ましたが、もはやそうではありません。原子も変化するのです。

 生理学における原子に対する認識は、「あらゆる細胞は細胞からしか生まれない」というドイツ人物理学者であるフィルヒョーの考えから生れました。この細胞の連続性という考えは、近代生物学、生理学、医学の基本的概念であるため、そのような概念では食べ物、細胞、臓器、身体、心の関係性を無視しています。これは近代医学の最も重大な欠点です。

 森下敬一博士によると、「近代医学と生物学は細胞は分裂することで成長すると教えている。例えば、一つの肝臓の細胞が二つに、二つが四つに、と。これは実験管内のような特別な状況においてのみ当てはまります。通常の肉体では決して起こらないのです」。

 「私の研究では、赤血球が集まり様々な臓器や組織を組成します。そのため、私達の身体は食べ物が変化したものと言えます。私達の体格や性格は自分が摂った食物で構成されます。結果、体内では消化された食べ物(有機体)は最も単純な生命(赤血球)に転換し、この生命がより高次の生命である肉体細胞に転換されるのです。私が提唱する進化論では、かつて地球上には非有機体しか存在していませんでした。その後、非有機体は有機体に、有機体はたんぱく質に、たんぱく質は単純生命に変化していきました。この単純生命体が寄り集まることでより高次な動物が誕生し、最終的に人間に至りました。この劇的な生命の進化は単純な人類学理論ではありません。私達の体で毎日、毎秒起こっていることです。非有機体の段階から人間へ進化するまで何十億年もの時間を要しました。私達の肉体では、それがわずか1、2日で起こるのです。何という奇跡を体現しているのでしょうか」(The Hidden Truth of Cancer参照)。

 転換という考えをなくしてしまうと、動物生命は植物生命とは離れており、植物生命は土壌や水との関係もなく、土壌や水は太陽エネルギーと全く無関係となってしまいます。あらゆる物は全体の一部ですが、統一的なものはありません。その結果が混乱であり、解剖学的な生命という考え方に基づいた予防薬となってしまっています。

 我々の体は常に変化にさらされています。食べ物はアミノ酸、脂肪、グルコースにまで消化されます。グルコースはグルコーゲンに変り、血糖値が下がるとグルコースにまた戻ります。有機体は体細胞に変わります。こうした変化の目的はある種の連続性-体の温度、酸アルカリ度、元素濃度、血糖濃度、酸素の量、二酸化炭素の量、体液、血液など-を保つことにあります。

 変化あるいは転換のおかげで、私達は体の状態を一定に保つことができます。転換なしに普遍的な恒久性はありえません。恒久性なしに生命はありえないのです。不変と転換は生命の両面-表と裏-です。医学と栄養はスナップ写真のようなものであり、転換という事実を無視しています。その理論では生命を説明することはできません。近代の栄養論では、なぜエスキモー達が生野菜を一番食べないにも関わらず、他の人々と比べ血中にビタミンCの割合が最も多いのか説明できていません(Vitamin C and FruitsMacroguide #6参照)。骨髄造血説を信奉する近代生理学者は腕や足を亡くした兵士が正常な血液量を維持できる理由を説明することができないのです(腕と足は私達の体内の骨髄の大部分を占める)。

 生物学は次の事実を説明することができません。
 「しょく土を食す鶏が石灰岩のない場所に放置された。柔らかい殻の卵が出てきた際、雲母が観察された。まさにその翌日、硬い殻が再度出てきた!(卵の内側は数週間前に鶏が摂った食べ物から成ると考えられるが、殻には48時間以上前に摂った元素の跡が見られなかった、ということを明記されたい)同様の実験は2日に一回硬い卵を産み落としていたホロホロチョウでも行われた。雲母を与えると、毎日硬い殻の卵が出てきた。実験は43日間行われ、その間、数回は雲母を与えなかった。雲母を食べなかった日の翌日は柔らかい殻の卵が出てきたが、食べた日の翌日以降は硬い殻がまた出てきた」。(「生体による原子転換」L.ケルブラン著―ジョージ・オーサワ訳)

 転換という考えは食事にどのように適用できるのでしょうか?まず、転換する力を強くする食べ物-穀類、野菜類、豆類、海草類など植物性食品-を食べましょう。次に、加熱するとビタミンと酵素がなくなるとされていますが、加熱は食べ物を陽性化します。それにより、私たちは転換の力を高めることができます。その結果、自分でビタミンや酵素を作り出すことができます。3番目に、ビタミン含有量の多い食べ物を食べる量を減らしましょう。これは近代の栄養理論とは矛盾するものです。

 メモ:牛乳、肉、果物、ドラッグを大量に摂取している人物は転換能力を失ってきているため徐々にマクロビオティック食に切り替えるべきです。

5.    An Art of Living
 マクロビオティックは知識の蓄積を目標としている科学とは違います。知識が意味を持つのはそれが私達の健康と幸福に繋がる場合にだけでしょう。

 近代科学は分析ありきで、それから理論と「法則」を導き出しますが、それは相対世界において絶対的な真理を見つけ出すための試みであり、健康あるいは幸福とはほとんど関係がありません。

 その一方、マクロビオティックはアートです。絶対的な法則は存在せず永遠に追及もできないということを知るために、自分が存在するこの恒常的な変化の世界に可能な限り応用できる原則を知ることから先ず始めてみましょう。自身の人生という絵画を描けるアーティストは自分でしかありません。マクロビオティックは厳正なものでもなければ模倣でもないのです。

 マクロビオティックな生き方をスタートした多くの人は、おそらく一般的な解説が必要でしょう。ただ、自ら経験を積み、自分を観察し、陰陽原理を学ぶにつれ、自分が望んだとおり人生を面白く、ワクワク、心躍るものにしていく力が付いてきます。

 私達人類は地球と呼ばれる特急列車に乗った乗客です-旅は短く、限られています。この旅を楽しみ、出来る限り笑って過ごしましょう!マクロビオティックはそれを可能にするアートです。

 学校で私達は事実と情報を記憶するよう教えられます。そのため、私達の判断力は主にこの寄せ集めのデータに基づいており、多くの制限が課せられています。日常生活にこの記憶情報を応用することは難しく、それが私達に幸福な人生をもたらすかどうかは疑わしいものです。日常の経験を通じ判断力がより高次に、より良く改善されることを通じてのみ日常の問題を改善することができます。例えば、何をどの程度食べ/飲むべきかということについて他人にアドバイスすることがありますが、これは個々人の体質や日々の活動、生活する土地により異なってくるはずです。

 厳密に言えば、同じ鍋からよそった食べ物やその量でさえ異なります。そうした個性の認識を通じ私達は自分が独力で生きており、自分の人生を創っているという事実に気づくことができます。胎児期の間に私達は心臓、脳、胃、腎臓、肝臓、腕、足、ほかの体の部位を作り、誕生後、話し、歩き、認知し、感じ、考えること等を通じ肉体機能を高めてきました。ただ、学校教育を通じ自らの判断力を高める方法を学ぶ代わりに、事実や情報の記憶だけが強要されることでこの自己成長が止まってしまう結果、現代人は何をどの程度食べたら/飲んだら良いのかを判断できなくなっています。他人の判断に基づき生きているため、独力で生きていないからです。そのような人の人生はもはやその人のものではありません。そのため、病気や困難に出くわした際、何をしたらよいのか分からず、深い憂欝状態に陥り、気が狂ってしまうのです。

 常に自分を頼り生きていれば、どんな困難でも克服できる道を見つけることができます。マクロビオティックは体と心に美を創り上げるため、そのようなアーティスティックな生活を私達に教えてくれます。

 現代社会ではアーティストは特別に才能のある人だとされていますが、マクロビオティックな生活法は皆をアーティストに変えます。それは、その生活を通じより美しく、健康な人生を自ら創り上げ始めるからです。

 マクロビオティックは喜び、楽しみ、幸せ、健康、自由な生活のアートです。その基本には、自分自身が自分の主人(マスター)であるという気づきがあります。あなたという人は、決してバクテリアでもなければ医者でもなく、科学者でもなければ、聖職者でもなく、哲学者でもなければ栄養学者でもない、ましてやマクロビオティックを実践する他の人でもないのです。

6.    Appreciation
 マクロビオティックは単なる病気を治す方法でもなければ神秘的な東洋の食事でもありません。それを玄米食事法と考える人もいれば、食事の楽しみをあきらめることだと捉えている人もいます。どうしてこれほど真実とかけ離れた考えがなされているのでしょうか?マクロビオティックは自然の摂理を意義深く理解することであり、その実用的な応用を通じ私達は魅力的で美味しい食事が用意でき、幸せで自由な人生を歩むことができます。マクロビオティックの第6番目のそして最も重要な原理は感謝です。なぜか?それは感謝が自由と幸福の礎だからです。

 多くの裕福な人が自殺を図っています。イーストマンやノーベルは裕福でしたが不幸でした。なぜか?それは自らの富を感謝していなかったからです。他方、5ドルをもらったことを大変幸福に感じ、それを生涯忘れず、恵んでくれた人に感謝の気持ちをお返ししようとする人も大勢います。

 私達の多くは感謝の心が欠けています。自分が与えたものは覚えているが、与えられたものは忘れてしまっています。このような生き方をしていれば、不平が出、不幸で不満足で不自由な生活を送ることになります。私達は生まれながらにして必要とする全ての物-空気、光、水、食物-を無条件に与えられていることを忘れています。何ら感謝の気持ちを示さなくとも私達を活かし、遊ばせてくれる母なる神(無限)の計り知れない寛容さと忍耐を忘れてしまっているのです。

 マクロビオティックは、一粒の米、一杯のスープ、一切れのパンから始まり、あらゆるモノを経験し、それに対する感謝を表現する試みです。痛み、病気、憎しみ、不寛容を含め何ら例外なくあらゆるモノを感謝することを教えてくれます。どうしたらそれに感謝することができるのでしょうか?それは、それらが全て私たち自身の無知、偏見、不寛容、排他性を教えてくれる先生だと気づくことにあります。そうしたものに感謝することで私達は最高の判断力-不寛容な私たち自身を含めあらゆることに感謝する無限の宇宙の客観性-を表現できます。

 マクロビオティック食は肉体レベルでも私達が感謝の気持ちを表現する助けとなります。ただ、自分の命に対する感謝の気持ちがなければ病気になり、病気に感謝することもないでしょう。健康であるが不幸である人が多く存在し、病気であるが幸福である人もいます。なぜでしょう?

 「あらゆる動植物は自らが受け取った何千倍を返します。一粒の穀物が地中に植えられ、地中は数千倍の実を返します。(中略)雌魚には何十億もの卵を産みます。それは自然生物の法則です。両親はあなたに命を授けました-ずっとそれを大切にしなさい。自分の両親が亡くなったら、直接・間接にせよ他人の両親の助けとなりなさい。これを東洋の言葉で恩と言い、単に恩義を果たすという以上の意味があります。恩とは永遠の幸福と無限の自由を伝えることを喜びとすることです。」(ゼン・マクロビオティック)

7.    Faith
 私達の赤血球は3カ月で完全に入れ替わります。マクロビオティックの食事を始めると非常に速いスピードで健康になります。多くの人が最初の3カ月で経験するこの素晴らしい体質改善は割と容易に達成可能ですが、その後に続く改善は段階を踏むものであり難しいものがあります。時には体調を崩す経験をすること人もいます。

 なぜでしょうか?主な理由は次が考えられます。

 赤血球細胞内が変化した後、細胞内液内が変化します。体細胞に入ってくる細胞内液からの栄養素が徐々に赤血球を健康にします。ただ、他のあらゆるモノと同様、体細胞には表と裏があります(同じコインの両側)。どちらかが表、あるいは裏と呼ばれ(観点により違う)、その片方が常にその場に留まる傾向がある一方、もう片方は順応しようとする力があります。マクロビオティック食を始める多くの人の体細胞は順応力が弱く、その場にじっとしています。他方、赤血球や細胞内液は、それほど「落ち着いて」いないため、容易に変化します。そのため、体細胞は新しい細胞内液に抵抗します(簡単に順応しない)。マクロビオティック食を4カ月~1年程度続けている人が一時的に体調を崩す原因は通常、体細胞による変化に抵抗しようとするこの作用のためなのです。これは歳を重ねより確立した保守派と、若くより柔軟な改革派との間の拮抗に見られる抵抗に似ています。

 そのような体質の悪化が起こると、マクロビオティックは正しい食事法ではないからだと感じる傾向があります。その様な時にこそ、マクロビオティックを明確に理解することが必要です。

 真の信念とは表面的な信頼(信条、クレド)や迷信ではなく、ワンネス(全ての無限宇宙とその全ての無限の現われ)の明確な理解にあります。私達はワンネスの現われです。私達は無に始まり陰陽、エネルギー、素粒子、元素、植物、動物-それぞれの段階がその前段階の変換である-と通過する渦の中心にいます。この渦は連続性があります。光、空気、水、食物は私達の周りに溢れています。(汚染とは宇宙の秩序-正義-による過剰人口管理と表現できます)。光、空気、水、穀物、野菜、海藻、豆、ナッツ、肴、果物、塩、動物食はおおよそその秩序に従い手に入り、健康になりたいのであればその秩序に従い食べなくてはいけません。マクロビオティックは道理にかなった食べ方の秩序を教えてくれるため、そのように食べるのが賢明でしょう。もし私の体調が悪くなれば、それは、a)毒あるいは過剰の排出、b)新しい細胞内液に対する体細胞の抵抗、c)マクロビオティックの不適切な実践、のいずれかです。

 そのような信念がなければ一つの食事法から別の物へと無駄に飛びつくことになり、非常に混乱するでしょう。ただ、そのような信念(常識)があれば、いかなる一時的な体調の悪化にも困惑せず惑わされることはないでしょう。

 ところが、マクロビオティックに対する信念は頑固さや厳格さとははっきりと区別されるべきです。もし体調が常に悪化しているならば、自身のマクロビオティックの実践が不適切だと考え、より判断力が正確で経験のある人に相談するのが賢明です。おそらく幅広く食事をしていないことが原因でしょう。

 「信念は信条ではなく、それは内的にはあらゆる有限で一時的な架空の現象を通じた宇宙の秩序の明確な理解であり、外的には排他性を伴わずあらゆるモノを包容する愛の理解である。(中略)人生において最も重要なものは信念である。」(東洋医学の哲学)

 「自然は私達の体に最適な食物を用意してくれたため、それを認識し活用することで我々は健康になれる。これこそマクロビオティックであり、飲食に自然の摂理を具象化することである。この摂理を認識し生きれば健康は自ずとついてくるが、そうでなければ病気が起こる可能性が高い。これは単純で明白で実用的である。それが正義である。」(ゼン・マクロビオティック)

8.    Do-O-Raku
 道(どう)は中国語の道(タオ)の日本語に相当する語で自然の摂理を意味します。楽(らく)は「楽しみ」を意味し、道を楽しむ(どこにいても、いつも感謝の気持ちをもって生きる)ことが道楽の意味するところです。自然の公正で絶対の正義に気づけば、何も心配することはないことに気づきます。臨済宗の言葉に、「一撃忘所知 更不假修治 動容揚古路(頭を打ってしまい記憶が飛んでしまった 統制は必要ない 私が動けば、それが道を体現するから)」というものがあります。この視点を持ち、自分が出会う全ての人に対し無限の喜びと感謝を伝えることで自らの人生を大いに楽しみ始めることができます。

 興味深いことに、道楽は「趣味」という意味もあります。そのため、道楽は自分の人生を趣味として生きるとも解釈できるのです―まさにそのままですね!自分がすることは何でもゲームです。「成功」も「失敗」も関係ありません。そうした理解がニルヴァーナ-永遠の平和です。パラマハンサ・ヨガナンダでは、「人生の経験をそれほど深刻に受け取ってはいけない。現実問題それは夢に過ぎないからだ。人生では自分の役を演じよう。それは単に演技であることを忘れてはならない。」と述べられています。

 永遠で恍惚とした喜びに生きることが道楽であり、それをする人が道楽者です。あなたが道楽者であれば、何を食べようともあなたはマクロビオティックです。

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ヘルマン相原(1920-1998
西海岸のマクロビオティックを先導、GOMFを共設、以下の著作者である
Acid and AlkalineBasic MacrobioticsLearning from SalmonKaleidoscope、他

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Eight Macrobiotic Principles from Macrobiotics: An Invitation to Health and Happiness(マクロビオティックの8つの原理)」は日本CI協会・編集部が和訳したものです。
GOMFの連絡先は下記となります。

E-mail:gomf@earthlink.net
英語版を読みたい方は下記のウェブサイトをご参照ください。