知識と技術は違う
両者は対立相補的な関係である
どちらか一方を極めればもう一方が極まるわけではない
通り一辺倒に知識を追い求めても技術は身につかない
技術は知識ほど万人に広く受容されるわけではない
何故ならば技術は自ら磨いていくものだからである
技術を磨いていく際に大切なのが心のありようだ
心がこもっていなければ技術が伴わない
感覚的に自明なことのように思われるが実際には難しい
その困難を招いている原因には技術がある
何故なら技術は心を伴わないから
アンドロイドの可能性には目を見張るものがあるが人間に代替することはない
その程度にもよるが
何故なら心が伴わっていないから
目に見えるこの世の中は空っぽなのではなく、全てがある
全ては空間であり、そこに心がある
八百万神が存在する理由が明らかになる
心をもって精神誠意尽くせば神の世界に入れる
「神」はその存在としてそれ自体が現実世界に体現しない
しかし八百万神が存在するのを認めるならば、神が有る
むしろ神の世界は現実にある
神の体現として神を捉えなければならない
その方法こそが陰陽であり、マクロビオティックである
「人間、この未知なるもの」
未知なる宇宙からいずる人間
宇宙と調和した生き方こそ人間の生き方そのものではないか