2012/02/01

ニューヨーク講演②桜沢如一

ニューヨーク講演②桜沢如一

(つづき)
だからこればかりは自分では治せない。お母さんがよくないとだめなのです。だから木田さんのような耳の人はよほどお母さんに感謝しなくてはだめです。親父はだめですね。そういう人で偉くなっている人はここにもたくさんいます。一流の人でね。ウイクリー、タイムスなどの写真を見てますと一流の人物になっている人の耳はこういう耳です。えらいものです。これは皆彼らが偉いのではなくお母さんが偉いのです。彼らはさっぱりだめなのです。今度のローマ法王ですがあれなども理想的な耳です。大きな耳でぴたっとしている。ところがあれなどもお母さんが偉かったのですね。彼自身はお母さんからもらった遺産をいいことにして毎日食いつぶしている。そんなわけで耳はその人の有終の美をなす可能性があるかどうかを見る。三白の方は現在を表す。ですから注意なさってください。

 ところがこの幸福を身につけることはなかなか難しいのです。孔子でも七十になってやっとこの辺に近くなってきたわい、といったのですからね。五十の時まだだめだといったのですからね。五十になって(……)といって五十の歳から私のいうこの無双原理というのを勉強し始めたのですからね。孔子でさえそうなのですからね。孔子は五十いくつかのときに老子に逢って「才子なにをするか」といって非常に叱られた。孔子は偉い人だから「ほんとうにそのとおりです」といって帰り、弟子たちから「老子先生はどんな人でしたか?」ときかれ、「我、竜を見たり」といったというのです。この世にめったに出て来ない竜、天に昇るもの、これを見たといって奥へ入ってそれっきり何もいわなかった。老子のほうはわかっていたということですね。しかし老子に比べたら大変に違いますからね。それで私はどうして世の中にこんなに不幸な人ばかりあるのかとそればかり考えて……。

 この(五福?)反対側は四苦八苦というのです。一番大きな苦しみが四つある。八苦というのはそれにもう四つ加える。こちらは生物学的なもの、こちらは精神的心理的な苦しみです。四苦というのはもう皆ごぞんじでしょう?生きて行く苦しみ毎日の苦しみ、次は病になる苦しみ、次は老いの苦しみ、次は死の苦しみ、この四苦は知っていますね。ところが八苦、次の四苦は知らない。これは求苦、求めて得ず、一生懸命に探すがそれが手に入らない。

 つぎが五蘊盛苦、これは五蘊が燃え盛るという意味です。食欲、性欲、いろいろな肉体的欲望が燃え盛ってじっとしていられない、じっとしていられないから何かをすると、することなすこと全て失敗する。女をひっかけたりひっかけられたりですね。愛別離苦、愛するものに別れを告げる。子供に先立たれたり夫に先立たれたり、あるいは恋人と別れたりとても苦しい。

 次は怨憎会苦、憎しみやのろいに遇う苦しみ。遇うというばかりではなく自分が持つということもあります。あいつ恨めしいとか、あいつ憎らしいなどと思うことも四苦八苦のひとつなのです。心の中で誰かをねたんだりこの世の中に一人でも嫌いな人があったらそれが四苦八苦ということです。ということはこの世で逢う人をみんな好きにならなかったらだめなんです。これが四苦八苦の正体なのですからね。これみんなあるのではないですか?(笑)別れることは悲しい。あるいは得られないことは悲しい。憎い人は悲しい。みんなもっているのではないですか?

 ところがこれを二千五百年前にあるインドの森で生まれた青年が考え考えて、ついにこの四苦八苦全部を無くす方法を発明したのです。これ、大発明です。原子爆弾の発明とはだいぶ違います。東洋ではああいう大量殺人の機械は発明したことがないですね。東洋の発明したものは仏教、ジャイナ教、ヒンズー教、神道あるいは儒教など万人を救うものばかりです。ところがこちらの発明したものは科学というのですか。最後はすべて破壊するものです。最後の発明の一大集積が、化学の発明の最大傑作が原子爆弾、水素爆弾。だから東洋と西洋では全く方向が違うのです。だから我々東洋の人は百年来、もうあらゆる国が支那がインドがフィリピンが国を失った訳です。そんなふうになるのは当然なのです。西洋というのは破壊する力の非常に大きなものをもっているのですから。ちょうど男と女です。東洋が女で西洋が男だと思えばいいですね。西洋では女でも男のような人がいますからね。もう女という気がしないですね。そばにいってみてもぞっとするようなのがいる、我々のほうがよほど女らしい(笑)。

 ところで、こういう偉い仏教のようなものを発明した人が何千人いたか分からないのです。仏教にしても弘法にしても日蓮にしてもです。孔子だの老子だの何千人いたかわからないのです。ところがこの人たちの考え上げた理論というのは平和になること人を憎まないこと、恨まないこと苦しまないこと、悲しまないこと、そんな方法ばかり教えているのです。今、岡島さんがおっしゃったように、どんな苦難が来ても、ありがたいと思えばありがたい、といって澄ましているのです。これが東洋のいいところ、非常にいいところです。ところがそれも二千年三千年経つと年ふりて青カビが生えて皆、足で蹴飛ばして恩も愛も、この頃の若い青年は誰も知りません。親に対して礼をとる、などという子供は今日本でもまず少ない、実に少ない。一昨年東京に帰ったとき竹中組の社長に会いました。これはわたしの二十年らいの弟子なのです。ところがそのときお父さんの竹中こう衛門夫妻が一緒にみえたのです。そのとき驚きましたね。私をまず正座に据えてお父さんお母さんをその横に据えて自分は入り口の端に座って初めから終わりまでお父さんお母さんとね。こんな礼儀正しい青年は今時いないです。それも大会社の社長をしているのです。日本での五大建築会社の御曹司です。

 もう四十七、八ですかね。これがやっぱり二十五、六の年に恐ろしい病気があり駄目だったのですが私の所へ来てよくなって、それからずっと二十何年か私について、いうことを聞いてくれているのですがね。その親子共に食事をしてその行儀のよさに感心しましたが今、もうああいうのはいませんね。他に見たことがありません。

 この間私は奥野さんの所へ行きました。おせんべいやさんです。十一月の末でした。おせんべいで成功したというのはおもしろいでしょう?食べ物です第一ね。しかもそれは米を使います。しかもアメリカ式の技術で多量生産するのです。これは面白い、いっぺん見学して来ようと思っていたのです。そしたら驚きましたね。奥野さん高血圧で動けない。出て来ても何もしないでじっと安楽いすに寄りかかっている。そのうちに息子さんが出て来ましたが、ものすごく膨れた陰性になった顔をして目が三白眼なのです。それから私は調べて診て、診るだけですが、これは悪い、
最近に重大な事がこの人の上に降りかかってくるとおもいました。それで奥野さんに「あなたの高血圧は十日で治してあげますが息子さんの方はもっと重大なことが迫っているから余程注意しなくてはいけません」と言ったらそうしたら「どうしてそんなことが分かりますか」というから「それは私はもう四十八年間これを商売にしているから」と言ったら「実はこの間嫁と孫がガスで死んだ」というのです。悲惨ですね。初孫ができたばかり。それから「今度又結婚したんだけれどそれに又来ますか」と聞いたので「来ます。危険ですからすぐ一度いらっしゃい」と言ったのですが来ない。そしたらとうとうあの事件です。ご存じでしょう?それで奥野さんは一生かかって作り上げた事業も、もう駄目で精神的には死んでしまったのですね。おまけに高血圧があるから何時どういうことがあるのか分からないですね。息子はもう身体が悪いうえに精神面も悪い。親に対する態度なんてなっていない。これ三白眼です。これを治す方法を皆知らないでしょう?三白眼も治らないようじゃ駄目ですよ。

<質問あり>
桜沢 ちょっと来てご覧なさい。診ても良いかな、小さな眼ですね。大丈夫です。とにかくすべては相に現れているのです。だから人相観という商売があります。私のやっている無双原理の端くれをかじった人達なんです。東京である日、東京で私は大きな病院をもっていたのですが昭和十三年から芝新橋の田村町で五百坪ぐらいの大きな病院をもっていたのです。部屋が七十~八十あってその時分には珍しいものでしたがね。そこへ毎日毎日たくさんの人がやって来るのです。中でも徳川慶喜公の孫の松平ユキコ姫という人が家来を二人連れていらっしゃるのです。家来がなんて言っているのですね。世は昭和になっているというのにまだ家来を呼んでくださるですね。面白いおばさんでしたがね。そういうときのある日三つある待合室がどれもいっぱいで、大勢順番待ちをしている時ある人が入って来た。私は例によって顔を診ますね。そうして五、六分話していて見ると、ちゃんと紋付き羽織り袴で扇子をもっているんです。何かちょっと格式ばってね。それがぴたっと机の上に扇子を置いて頭を下げるのです。

「どうしたのですか?」と聞くと「はぁっ、恐れ入りました。もうお見破りになりましたか。」と言うのです。分からない、こっちはよく分からないんですがね。それは眼が三白になっているのはすぐ分かりましたよ。ところが耳は良い耳になっているのです。こういうふうに切れ込みがあり、耳たぶがこう切れ上がっているのです。耳たぶは離れていなければ駄目なのです。値打ちがないのです。くっついていては駄目なのです。これを小股と言うのです。小股の切れ上がった美人というのはこれなのです。美人もらうならこれに目をつけなければいけない。昔から女は眼百両、耳千両といって千両箱ひとつあったら一生遊んで行けたんですがそれに相当するのです。今なら一億円ぐらいのものでしょう。二十五万ドルぐらいにあたる。小股がなかったら災難です……ところがこの人は眼や鼻や口では絶対悪い相であるにもかかわらず耳が良い。耳の良い人はまず信用してよいですからね。絶対に悪いことをしませんから。ところがこの人は人相と耳が合わないから私はこっちの方ばかり診て居たのです。「どうしたんですか?」と言ったら名刺を取り出した。「私はこう言うものです。」というので見ると浅草の易者です。人相観の易者。(セキビョウ?)と争っている人なのです。

 偉い人でだれでも知っている人でしたがね。人相人事万般相談なんてね。それで「どういう訳ですか?」と聞くと「いやもうお見破りになりましたか。何を隠しましょうすっかり白状致します」「どうしたんです?」「先刻からジロジロを耳をご覧になる。実は私の耳は手術によって作らせた整形外科で作ってもらった耳です。私は人相観なので自分の耳が気になって仕方がない。それに家の中で不穏なことばかり起きてくる。息子が死んだり嫁が死んだりでね。どうもこれが悪いんだというので帝大病院で手術してもらった。そしてこういうふうに引っ張ってもらった」と言うのです。ところがどうにもそれが不自然なのですよ。取って付けた様でね。人相は悪い。悪人の人相をしていて、耳だけ善人ですからおかしいのです。それをはっきり白状したんですね。こういうのがある。これは自分で不幸続きだからといって耳を手術したんですね。ちょうど毎日雨ばかりで晴雨計がバロメーターが、いつでも雨のほうへ針がいっているので、硝子開けてグーッと針だけこっちへやって、明日お天気になるだろうといっているのと一緒なんですから、ますます悪くなる。そんなことがありました。ところで四苦八苦ですが、それを簡単に片づける方法を、長い間山に入って修行して、一人で食うや食わずで断食をして祈って、しっかり書き上げたのが仏教です。ところがその仏教の、四苦八苦を救うものであるという教えをすっかり忘れてしまって坊さんが病気をしている。そうでしょう、良く知っていますよ。そういうことになってしまったのですね。

 八苦の方は(……?)の四苦の方は全然話にならない。台所は火の車だというお寺は沢山あります。私はもうこれ四十年間日本でお寺ばかりで講演して全国歩いたのです。どこでもお寺に泊められるのが多いのですが、どこの家庭も実に不幸な家庭ですね。姫路のある寺のごときは大きな寺ですが、何の奥さんが精神病。娘を嫁に貰い手がない。こんなのもありますし、ある九州のお寺では仏教大学をでた二人の青年が二人共不良なのです。ですからもう仏教もキリスト教も神教も全てこういう苦の良いところを皆無くしてしまう。これを我々は復活しなくてはいけない。

 今ニューヨークでは仏教、特に禅というのが非常に流行っていますね。この間、私はコロンビヤ大学のドナルドキーン教授に会って来ましたが、この人は偉い人でして日本語が実に上手です。我々よりも上手いといっても良いですね。一時間ばかり話しましたが一言ももつれなかったですよ。間違わなかった。それで私は日本語を話せるようになるのに何年かかったかと聞いたら、私はどんな外国語でも二年でマスターする、ところが日本語ばかりは二十年かかったといいました。二十年だからあなた方はドナルドキーン先生でさえも二十年かかるものを皆ペラペラですからね、これは大したものですよ。どうです、よっぽどもうけなくてはいけませんね。日本語だけで。ところでしばらく話している内に色んなことが分かりましたが今、近松物を翻訳している。近松の義太夫です。ちょっと若い者には分かりませんわね。訳だって分からないし読めないですよ第一。字がこんなよ。えらいものですね。二十年です。そのときに言ったですね。この禅が今や非常に流行している。それから俳句が流行している。生花が流行りだした。それから日本の建築が流行っている。こうして日本のギフトショップが沢山でて来た。こんな日本ブームというものはどうなるんです?と言ったらもう絶対にこの日本ブームは後退しません、どこまで伸びるか分かりませんがけれども後退することは絶対にありません。現に私の大学に三十五人の学生が日本文学を研究している。その内の四~五人はベラベラ翻訳ができるようになっている。方丈記、徒然草、枕草子、樋口一葉、そんなものをベラベラ訳しているそうですよ。それでもう、ますます進む一方だと言うのです。
 この間、俳句の本が二万部売れたと言っていましたね。これはね、始め暴力をふるう男が女を馬鹿にして、殴ったりはつったりした挙句妻にしてみた。ところがその妻が実に貞操でいい女で賢くって仲なか良いところがあるんで今度は本当に惚れ出したっていうような話ですね。つまり日本とアメリカはこういう状態なんですね。暴力でつぶしてみたが精神力ではすっかり参ってしまった。男っていうのは皆こんなものですね。皆、女にいばっているけれど家に帰ったら頭が上がらないですね。私は戦争中に一辺参謀本部で話をしたことがあります。参謀本部の高級な人ばかり、皆金の鎖をつけた将軍連中、閣下連中ばかり。そしてその内にいろんな質問がでたんでうがね。その中には宮様も一人いましたかね。

 ある将軍がこう言いましたね。「どうして西洋と戦ってはいけないのか」「暴力で戦うということは本当の勝ちになりません」荒木大将が総理をやっていた時分ですがね。その翌日また荒木さんにあって午後半日かかって戦争をしてはいけないということを説いたんですが、その時に「戦争がどうしていけないか」なんだかんだ言うのですね。私は「それは絶対だめです閣下。絶対戦争やってはいけません。私、荒木さんに会うことになっていますがそれを説くために行くんです。その目的で私はフランスから帰って来たんです」「だって力で抑えないことには承知しないではないか」と。何しろもう「納得させるにはとにかく暴力でやらなくては駄目じゃないか」というのです。それで私は「暴力はいけません。暴力で勝ったって金力で勝ったって、学力で勝ったって駄目なんです。本当は人間は徳で勝たなくては駄目なんです。早い話があなたがたの中に奥さんに勝てる人がいますか」と聞いたら、皆大笑いで腹をかかえて笑って……皆負けるそうです帰ったらもう(笑)愉快なんです。そんなものですね。

 とにかくこの幸福、その裏からみても表からみてもどっちも難しいでしょう?私の幸福の定義はもっと簡単です。私自身三十~四十年も説いているんですが、まだだれも訂正してくれませんし抗議も申し込まれません。もし欠点があったら教えてください。これはね、好きなことを一生やってやり抜いて長い長い一生やり抜いて生きて行くこと。これが幸福ということ。好きなことをやってやってやり抜いて長い一生を送る。これが幸福です。あまり学究的な物ではなく実際的に好きなことをやってやってやり抜いて、そして長い楽しい生活を送る。どうですか。(参加者からなにか発言があるが聞き取れない)だれでも自分の好きなことは知っているのではないですか。

―知らない。アイドンノー。

桜沢 どうですか貴方方ご飯食べませんか。めし、食べませんか。飯、好きなんでは?

―好きと言って…ひとつピックアップ…好きなことね…
桜沢 そうじゃないんです、私の言うのは。好きなことをやってやってやり抜いてということです。なんでも良いのです。貴方が三味線を弾くのが好きなら三味線ばかり弾いとって一生…

―それはですな、仕事をしていると仕事をせずに、薔薇作りが好きだとその内嫌いになる…だから知らないということになるだろうと…

―あぁ私はそんなのではなしに一生やってやって勘能して行くことですな。
―それが何か好きなのか知らないんです。

桜沢 そうでしたね、それは人によって皆違いますよ好きなことは。
(つづく)
19945月号No.680