2012/02/01

ニューヨーク講演①桜沢如一

ニューヨーク講演①桜沢如一 

幸福とは?

桜沢 わたしのお話というのは健康と幸福のお話です。この七年来私はインド、アフリカ、ドイツ、フランス、英国その他方々歩きまして、そして今度初めてここへ来た訳です。わたしたち人間は皆幸福と云うものを目指しているんですね。幸福、なかにはこれ以上幸福になろうなんで思わないという人もありますがね。別に幸福になろうとは思わない、ではその人はこの人生で何を望むのかというと、とにかく思うままに暮らしたい、大いに苦労もしてみたいなんて云っているのですが、そうするとそれはその人の幸福なのですからやっぱり幸福を願っている訳なので不幸を願っている人は恐らくいないと思うのです。

 いかかですか、ここの皆さんの中にあったらお目にかかりたいのですがまだそういう人にあったことはありません。ところが見ると、本当に幸福になっている人がいないのです。いかがですか、皆さんご承知ですかね。本当に幸福だと人が見ても自分が見ても幸福で楽しい生活をしているという人がなかなかいないのです。

 ここへくる人でひとりのイタリアの婦人がいます。この人はあのイーストリバーのところの素晴らしいアパートに住んでいるのですが、部屋が八つあって金ボタンをつけた門番が三人いるのです。行ってみると奇麗にしてあります。八つ共部屋はきれいにしてありますが、たった一人なのです。独身でもう二十年以上そこに一人、三百ドルのアパートだそうですが二十年以上も前からいるから安いのでしょうけれども、とにかくこんな立派な美しい賢い、絵を美しく描く人がどうして寂しい生活を一人でやっているのか。会って話を聞いてみるとやっぱりそれには相当の理由があるのです。相当不幸な人な人です。

 その他もう一人四十五番街のダーアンホテルに泊っている立派な紳士がいます。この人は米国人でサンフランシスコの人です。それでそのサンフランシスコの人の家へ呼ばれた事がありますが、これまた素晴らしいアパートでごっついものです。ところが一人なんです。これは弁護士でお金はずいぶんあるのでしょうが独り者なのです。歳は五十歳、それで五十年間一生懸命幸福を探して歩いているのですが、まだ見つからないらしい。気の毒なものです。それは素晴らしい人です。その人は日本人のためならなんでもやってくれる。今でも日本人が一人留守番をしているのです。部屋を貰って食事も何もこしらえて食べてもいい、そのうえ月に百五十ドル貰って昼はグレーハンドの自動車会社に行って自動車洗いをしている。五百ドル相当の収入がある。まだ二十七~二十八の青年です。

 その青年はどうしてそこへ来たのかというと、口入れ屋にどこか仕事の口はないかと頼んだというのです。そうして行ってみたらその人がいて、いまはもう百万長者の一人息子のようなものです。この弁護士はニューヨークへ来ていま八ヶ月目ですがニューヨークに還らないで二~三日中にフランスへ行くそうで、またここへ帰ってくるという。この間ここへ見えましたが、しかし、寂しい人です。たった独り、天にも地にもたった独り、しかも頼りになるのは、一切の財産を任せて番をさせているのは、この間来たばかりの何もよく分からない日本の青年。不思議なものですね。本当の夫婦そろって子供も沢山もって楽しいなんて家庭はなかなかないですね。どうしてこんなことになるのでしょうか。皆幸福をねがっているのでしょう?まあ、第一その幸福というのが問題ですが、あなたがたの幸福というものがいったいどういうものかお考えにいなっていますか?どうですあなた、あなたのお考えでは幸福というのは一口にいえばどんなことですか?あなたは?

―うんうん、まぁすこし幸福ですね。

桜沢 わたしの場合は宗教方面から考えて、すべて貧乏であろうが金持ちであろうが立派な暮らしをしようがしましが感謝感謝でその日を過ごし且つ、健康でしたらこれが幸福だと…。それは…実際…ところがなかなかできかね、それがなかなかできない。やっているつもりでも病気になったり自動車に引っかけられたりコカコーラをのみすぎたり(笑)、自分が自分に謀反をするのですから困ったものです。

―感謝が足りないのですか?

桜沢 それはいいことをおっしゃいましたね、一言でいえば感謝。もしくは恩を知る心なんです。恩を知っている。天地の恩なんていうのを知っている。幸福というものは恩を知っている人だけにくるものだとこう言ってもいいのです。けれどそれはまだ幸福の定義にはならないのです。幸福とは何ぞや、これが皆分からないのですよ。たとえばヒルティという人を挙げますが、これはあの20世紀の聖人といわれているスイスの人でもう亡くなりましたが、「幸福について」という本を書きました。「眠られぬ夜のために」というのが岩波文庫から出ていますから一度読んでご覧なさい。幸福の事ばかりの五冊続きの本です。こんなに大きくかかれては分からないですが、もっと簡単に一口でいかがですかあなたは?

―私もみなさんと同じで…今までそう思いませんでしたが幸福で、健康で、その日その日を送られるのが一番ありがたいと思って感謝致しておりますけどね。

桜沢 あなたはいかがですか?

―わたしはやっぱりなんですね、自分で感謝していますと要するにその欲望がなくなるんですね。やっぱり感謝というものをしないことには腹が立ちます、立ちますからここへくるんです。感謝をすればありがたく、ありがたくなれば喜びですわね。ありがたいということは喜びで、喜びはまあ幸福ですね、それはたしかに。ところがそれは修養を積んだ人でないとなかなかできないのです。

―時に、昔の本に坊さんやあるいは聖人が、人のできない感謝をして、幸せを知らずにいる人を感化したということを読みましたが

桜沢 まあそういう精神修養の話はたくさんあります。京都の一灯園の西田天香さんです。今八十七歳ですかね。あの人は六十六のときにこの我々の食養法で救われたのです。わたしが救ったのです。その後会うたびにおかげさまでといってね、喜んでいらっしゃるのですがね。

―八十七歳のときですか?

桜沢 六十六のときです。もうだめだったのですが、それからなんと二十年以上長生きしましたね。ところがわたしがその人を治してから毎年夏の講習に、この人の家に呼ばれましてね。全国から何百人という信徒が集まってきて二週間の講義があるのです。何百人という人がご飯を食べるのでご飯を入れるお鉢がとても大きいのです。一日に何俵かを炊くのです。それがいっぺいにきれいに無くなってしまうのです。

 ところがその窯を焚くおばさんが私に「ちょっとお尋ねしたいことがある」という。「何ですか」といいますと「実はわたしに十歳になる男の子供が一人います。主人は亡くなってもういません。ところがその息子が唖で聾なのです。こんな目に遭ったらどうしてもありがたい、ありがたいといってその子を抱いている訳には行かない。そこで天香さんに相談するとそれも何かの因縁だからありがたいと思えとおっしゃいます。けれどもどうしても思えません。どうしたらいいでしょう」というのです。

 そこでわたしが引き受けようといって教えたのです。そうしたら一カ月で治ったのです。一カ月目にのある日、夏でしたが「アチュイ」とその子がいったのです。それからぺらぺらしゃべるようになりまして、四十五~六歳ぐらいのそのお母さんは涙を流して喜びました。

 そんなわけで、どんなにありがたいと思おうとしても高血圧があったり目がみえなかったり、耳が聞こえなかったり子供が病気になったり自動車でケガしたりなんかすると幸福だと思えませんね。どうですか。木田さんの長年のご経験ではどういう結論になりますか?

 これはね、支那人は人生の五福ということをいっています。人生に五つの福がある、というのです。五福、その第一が寿、これは病まない、老いない、そして長生きする、それを寿というのです。つまり健康です。健康で病気しないでそして早死にしないで長生きするというのです。これが寿。

 その次が福、この福はこの字の示すとおり偏が神という字になっています。神偏に一をひいて口をひいて田を書いてある。神仏を尊敬する人であって一家中の口がすっかり食べ養われてなにもくよくよすることが無い、金銭のことで困らないということなのです。といってロックフェラーのような巨万の富を持つという事ではないのです。福というのは福ぶくしい相だといいますがこれは金持ちだということではないのです。これが第二、第三は好例、これは無事息災で絶対にケガや災難で若死にすることがない安心した状態ということです。安らかさ、セキュリティという意味です。その次には好修徳といって道を楽しむということが好きなのです。正しい道、正義であるとか自由であるとか仏の道であるとか悟りであるとか、とにかく陰徳を積む事を好む、陰徳を積むことが楽しみである、これ間違いない。好修徳。

 五番目が好終命。これは一生全体を考えて最後に悪くならないように、これは言い換えると有終というのです。最終が幸福のうちに終わるように有終、それを始終考える。有終の美をつんでそして最後の楽しく大往生を遂げるということをもって、そこまでいって、これだけそろってそのひとは幸福だったといえる。

 ここまででではいけない、ここまででもいけない。この間ロスアンゼルスで百歳のおじいさんで保坂さんのお父さんですが、まだ健在で九州でピンピンしているといって孫から写真を見せて貰ったのですが、これは完全にこれがそろった相の人でした。それが皆人間の顔に相として出るのです。だから人相が悪いと何かが悪いのですね。実に人相というものは難しいもので、十六歳以後の人相は皆自分が作るのです。それまでは親が作るのです。それから先は自分の意志で変わっていくのです。

―五福そろった人にあいましたか?

桜沢 なかなかいないですね実に…まだ私は会ったことがない。

―修養の積んだような

桜沢 私は四十八年、世界中を歩いて探して回っているのですが、まだ逢ったことがない。悲惨ですね実に。それで新聞を見ると毎日スキャンダラスだのアンハッピネスばかりの記事で幸福記事が一つも無い。やれホールドアップだの、やれギャングだやれ殺人だ、なんだのって何にも幸福ニュースというのがありません。するとこの世は地獄だということになる。

 ニューヨーク高島屋のミチオ(久司道夫)はまだ来ませんがミチオから聞くと、もうこのニューヨークでは毎晩のようにホールドアップがある。でも新聞にはちっとも出ないじゃないかというと、そんなものは珍しくも何ともないというのです。高島屋付近では週に二回はギャングがあるというのです。この間も二人殺されたというのです。恐ろしい所です。ミチオはこの間殺されかけたのです。それは夜遅く二時頃仕事を終えて一人とぼとぼ降りて出て来た。忘れ物をしたので取りに帰って部屋に入ったとたん、大きなピストルが出て来た。「おまえは誰だ」「僕はここのディレクターだ」「ウソを云うな、外を見ろちゃんとあのとおり警官の自動車がずっと取りまいているぞ」というのです。というのはあの辺の会社や銀行は全て特別な私立探偵会社というのですか、防犯の会社があるそうです。そこへ頼んでおくと一晩中見回ってくれ最後にカギを降ろしたらベルがなって、この部屋にはもう誰も居ないというのが分かる、だからその後で行ってドアを開けたら二分とかからないうちに皆やってくるのです。だから「おまえは誰だ、ウソをいうな」というわけでミチオはすっかり青くなってしまった。とにかく幸福な人がいないですね。それで幸福でない人を見分ける方法は三白眼です。これは一番見やすい。誰か人がやってくる。この人が良い人か悪いか目をみればすぐ分かる。

不幸を呼ぶ相を見分ける法―その1・目

―どうなっているのですか?

桜沢 三白眼というのは目玉の上と下が白い。これが人間のノーマルな目でツーホワイトというのです。ところが三白眼になると目玉の三方が白くなる。スリーホワイトになる。最近ここである一人の男に逢いました。ユダヤ人です。あまりしげしげとやってくるのでつい私の仕事を手伝って貰ったのです。本を。そしたら二~三日でやってくるといっていたのに一週間すぎても持って来ない、それで皆さんにお約束したのですが渡すことができなくなった。それが三白眼なのです。始め十二月に逢ったときには…あぁ三白眼だよ…と皆と見てたので注意していたのですが、果たせるかなやられました。この私が。知っているだけではだめなんです。断行しなくては。ところがなかなかセンチメンタルがあってあまり親しく慕われるとついまかせてしまうのですね人間は。

 目の三白と耳の格好だけは人相学上一生変わりません。だからそこでみるのが一番いいのです。顔の形から鼻の形、眉の形から眉間の幅、唇のおおきさからいろいろあります。何千という特徴がありますが一番素人に覚えやすいのは三白です。帰ったらあなたがたの家にだれかいるのではないか見回してご覧なさい(笑)。この頃不良少年が親を殺すのが多いでしょう?あるいは身代限りをする子供、禁治産になる子供こういのは全てこれになっている。それを親が知らない。この間もナチスの三人組というのがきて新聞に出ていましたね。ニューヨークの青年で…ドイツ系統のナチスを選ぼう、新しいナチスを…という運動が起こっている。三人の写真が新聞に出ていましたが三人とも三白です。明日にでも郵便局にいってご覧なさい、どこの郵便局にも尋ね人というのが何人かは出ていますが全部三白です。

―郵便局で見ました。

―もうああいうことをする人は…

―白人の目は大きいからそう見えるのではありませんか?

桜沢 いや、日本人の中にもたくさんあります。私の学生の一人にも、女で妻でという人がいたのですが十一月に着いて逢ってびっくりしたのです。…おまえは三白だ。えらい女をもらったもんだ。これは問題が起こるよ…どうしたら治りますか…それから一生懸命に私のいうとおりのことをやったのです。そうしたらとうとう二カ月で治ってしまった。ゆうび来たのを見てびっくりしました。全くの別人のようになって妊娠八カ月ですが、三白の子供を産まないでよかったと思っています。どんなことでも変わることがあります。この世の中でシンポッシブルな事は無いのです。例えば「汝ら信仰うすきものよ汝ら、もし、からしの種ほどの信仰があるならばあの山に向かって海に入れ」という。そうすると山が海に入ってしまう。この世の中にできざることはないとキリストがいったのです。それと一緒でどんなことでもできないことは無いのです。

その2・耳
―先生、三白と耳とどういう……。

桜沢 三白の方は十年ぐらい悪い食べ物を食べ続けていると皆三白になる。だからここは今非常に多いのです。電車の中でもタクシーに乗っても運転手を見てもとても多いのでびっくりします。こんな国はありません。

―頭をこう下に向けて…。

―頭を下にしなくても頭の位置に関係なく…。

―頭を下げて上目使いにみる…。

桜沢 それが始まりなのです。人と話しているときに頭を始終下げている人がいるでしょう。これがやはり三白になる下地なのです。これは皆食べ物からくるのです。

―そういう人の耳はどうですか。

桜沢 そんな人の耳には、いい耳もあれば悪い耳もあります。三白は十年位でできるものですが、耳のほうは一生変わらないものなのです。いくら悪い物を食べたって耳の形を替える法はないのです。だから耳を見れば一番よく分かります。

―でも先生、ふわっとした耳とか、ぶらさがった耳があるとおっしゃいましたね。

桜沢 えぇ、例えば木田さんの耳ですね、ぴたっとくっついています。これは理想的な耳です。そちらのあなたの耳もね。…ちょっと見せてください(笑)…よくねています。こうなっている人がいるでしょう?(ポーズをしている?)これは実に不幸な目にあいます。だいたい耳はこうなっている(板書?)この耳たぶが大きいほどよい。そしてこの角度が横面に平行しているのが一番いい。私など悪いのですよ(笑)それで治そうとして一生懸命なのですが…。

―で先生、聞こえるでしょう?

―いやぁ、こちらに百八十度こちらに百八十度とこうなっていると絶対後ろから人が来ても分からないし自動車がやって来ても分からないですよ。ちょっとやってご覧なさい。非常に感じが違います。だからこの位置でその人の一生が決まってしまうのです。
(つづく)
19944月号No.679