2012/02/01

ニューヨーク講演⑤桜沢如一

ニューヨーク講演⑤桜沢如一

-三、四日もしくは一週間どこかへ旅行したいと思うとき我々はどういう食物を取ったら良いでしょうか?

-しごく簡単です。

-食養療法で梅干し入れてかじれとおっしゃったけれど夫婦で二、三日も出掛けるのには少しやりにくいのではないかと思いますが・・・一、二日ならよいでしょうがどんなものでしょうか。

桜沢 それなら外にもいろいろ方法はありますが人間は難儀が困るというのはだめなのです。私は東京からパリへいくときはいつでも十六日分の握り飯をもっていきます。

-腐りませんか?

桜沢 腐ります。東京から五日目でバイカル湖の付近まで行きますがみんな青カビが生えてつぶれていてドロッとしていて手ではもてません。それがシベリヤの果てまで行きますと真っ赤な赤カビで赤いものになっています。吃驚することはない。それを毎日食べて行くのです。パリに着くとその日から仕事をする。ところが一等車に乗って食堂車で毎日何百円という食事をしていた人達は着いてから二、三日から一週間休養しなければ何もできない。そんな訳でお米という物は生で食べても腐っていても絶対に当たらない。お米以外の物をご覧なさい肉、鳥、魚、どんなものでも腐ったものを食べてご覧なさい、大変です。お米だけは特別ですがこれには原因がある。

この話はまた後で詳しくします。だから私はお米を勧めるのです。しかも日本は豊葦原の瑞穂の国といって天照大神が「汝の子孫はこの豊葦原の瑞穂をもって食とせよ、そして永久に守り継ぐべし」ということをおっしゃって同時に剣とかがみを渡されたのです。考えるということを一番必要とする、鑑みるということは神様が見るということです。考えるということは神にかえるということです。この言葉も英語にはありません。考える、良い言葉ですね。それには毎日鏡を見よ、鑑みよといって鏡をくださったのです。だから今あなたは毎日鏡を見てるといったでしょう?しわができたなんて有り難いことではないですか。それだけ緩んでいたということですからね。岡島さん、目方どのくらい減りましたか?今、あなたは大手術をしたのですからね。我々のからだの中には七兆の細胞があるのです。一億や七億の騒ぎではなく七兆の国民がいるのですそれ全部を洗って手術したのです。それは疲れますよ。

-それで冗談を言う馬力なくなりました。

桜沢 おとなしくなっていいです。あなたはおしゃべりだったのでしょうねハハハ。貴方はお名前は何とおっしゃいますか?

-鈴木ケンジロウです。

桜沢 この人は八十で一人でひょこひょこ歩いていらっしゃる、八十や九十はまだまだです。これをおやりになれば何歳まで生きられるか分かりません。皆これがなくてはいけません。災難に遭ってもいけないし自動車に轢かれてもいけない。

-でも五人の兄弟は皆死んでしまい私一人残りました。

桜沢 ま、その話をしている訳なんですがひとつ実行をしてご覧なさい実行を。だれでしたっけ怒らなくなってきたという人は?この前来た西洋人で十日間やったら怒性の私が少しも怒らなくなった、不思議だ不思議だといって事務所へ来て言っていました。鬼崎さんもいってたね、怒りっぽい人でしたが今度これを遣り出したらおとなしくなってしまって何も言わなくなってしまった。例えば親鸞聖人あるいは蓮如聖人ですね。皆八十、九十まで生きました。この人たちをどう見ますか?蓮如聖人は八十三歳でなくなったとき、三歳の子供があったそうですからね。あの時分ですら精進料理ですよ。ちょうど我々がやっているのと同じで、玄米食べていたのですからこれは絶対長生きします。だから八十三になっても子供が作れたのです。

希望がなかったら人間はだめですね。とにかく、その秘術秘伝をこれからやろうと思います。これは昔ですね、昔はこう言っているのです。仙術、仙人といいましたね。雲に乗ったり風に乗ったり、あるいは猛獣を猫のようにしたり毒蛇にかまれても何ともない、こんなのを仙術といいました。私のお話しする正食というのはこの仙術の現代版なのです。だからこれは昔の人のように、はるばる上がって来て籠ってお願いしなければ教えないようにすればよいのですが、この頃はあまりに病人が多すぎてそんなことをいっていられないので、ちょっと山から下りて来ました。だから貴方がたがここでおやりになったことはこれは、仙術なのです。何年、何百年と、いくらでも雲、霞を吸って生きていけるのです。その秘伝なのです。

-ちょっとお尋ねしますが先生のおっしゃる食事を十日間した後はどんなことになるのですか。

桜沢 後は自由です。

-コーンライスばかり食べていられませんけど・・・

桜沢 十日間です。もう少し続けようと思えば二十日。

-先生、ご自由って何を食べてもいいのですか?

桜沢 何を食べても何を飲んでも自由です。といっても岡島さんのように悪いものを食べたら岡島さんのようになります。真人間になってから泥棒の仲間に入るとこれはやっかいですよ。よくこういう人があります。「玄米だけの食事なんてそんなお粗末な物に急に切り替えてもよいのですか。私は今まで毎日ごちそうの限りを尽くしていたのですから急に切り替えてもいいのでしょうか?」と聞くのです。そんなとき私は「泥棒で人殺しで火付けでスリであらゆる犯罪を犯す者が急に明日から真人間になるという。

それに向かってそりゃあんまり短兵急だからまあ今年は殺人だけやめて来年はスリだけやめて、なんてそんなことになれますか?」と答えます。心が変わっていないのですからまた出て来ます。やるならオール、オアナッシング十日間、絶対に守るかそうでなければ悪いものを食べるか、どちらか徹底しなければいけない。

-それは朝からですか?

桜沢 朝からでも夜からでもいつでも。

-ちょっと伺いますが、玄米と胡麻塩だけで十日間食べますね、ところがここへ伺ってここの食事を毎晩いただきますがその中には野菜などいろいろなものがはいっていますがそれはかまわないのですか?

桜沢 ここで出される物は何を食べてもかまいません。ここで出す物はどんなものも毒を消しておいしくしてあります。

-私は玄米を弁当にしてもって来ています。でも玄米は粘りがないのでノリを巻いているのですがよいでしょうか?それを伺っておかないと。

桜沢 よろしいですよ。ここはまったく関さんのおかげで台所を貸していただいているでしょう、これはもう実際どこでもできない講習です。パリまでこの食事を食べに来てご覧なさい百万円ぐらい一遍にかかってしまいますからね。

-パリでご飯が食べたくて・・・

桜沢 日本人はたいてい知りません。私は日本人には相手になりませんから。オランダ人、ドイツ人、フランス人、スイス人ばかりです。毎日一人か二人は飛行機でスイスやオーストリアから伝え聞いてやって来ます。今日来た手紙も私がパリにいると思ってポーランドのワッソーから「行く」といって出されたものです。まぁそんなことで関先生には本当に感謝しなければなりません。有り難いことです。それではあしたから第二回、第三回と其の秘伝、秘術をできるだけ短縮に申し上げます。

これは正確にやれば十年かかります。医科大学に行ってご覧なさい。十年ぐらいかけて卒業しても開業できませんし病気は治せるようにはなりません。治せる人はいないでしょう。この間ジョセフという音楽家が来たのですが足が靴の四倍ぐらいに膨れてはみだしているのです。二十五年前から苦しんでいるというのです。最近どうしてもたまらなくなって医者に行ったらどうにもならないから切断しては?といわれ、悲観し絶望して何にも希望がなくなってしまった。それでやって来たのですが十日程のあいだに七ポンド減ってずっと小さくなったそうです。

そんなわけで医学を十、二十年かけても治らないのです。明治天皇でしたか大正天皇でしたかの侍医をしていた医者がいましたが、その人など死ぬときは自分の弟子の平野博士に診て貰ったが博士はお決まりの薬をもってくるようにいってもって来させた。それをなめてみて「うーんこれか、こんな物効きはしないではないか」といったというのです。知っているのですね。それから紙をもって来させて辞世を書いたのです。「効かずとも効かずとしれど義理なれば、人に飲ませじ薬我飲む」といって書いた。何十万人という人に其の薬を売り付けて来たのですからね。しかも綬位十三勳三等なんとかと偉い人なのですからね。

そして懺悔でそう書いた。医学をやっていたってそうなのです。パリでは医者がたくさん私の話を聞くために集まって来ます。ここでも五、六人通っています。そんな訳ですから本当にやれば難しいのですが、それを、三日か五日でコンデンスして生粋のエッセンスを差し上げるのですからよほどよくかみ分けないといけない。ですからわからないことはできるだけ質問をしてください。

-玄米だけ食べていると喉が渇くのですが何か飲み物、例えば番茶などを飲んでいいのか又は飲まない方がいいのか、どちらでしょうか?

桜沢 それはできるだけ少し飲む方がいいです。けれども飲みたくてたまらなかったら梅干しを考えるのです。するといっぺんに唾が出てきます。それでもだめだったら梅干しを少しちぎって口の中に入れのみこまないでおくのです。それでも駄目ならもう少し、それでも駄目なら種を口の中に入れておく、ガムのようにね。まぁ、いろいろ苦労をして自分で発明するのです。発明しなくてはいけません。人が言ってくれたからやるというのではなく、自分が面白いからやるというのでなくては駄目です。

支那の聖人の話ではいかがですか?寿、福、幸明、好修徳、好修命ですかね。これは本当に幸福というものの内容をはっきり示してくれます。我々は幸福というものの内容を考えないで幸福、幸福と言っているけれど幸福というのは、まず第一に健康で長生きできる、いつまでも不老長寿であるということでなくてはいけない。次には金のことでくよくよしない。泥棒に遭ったり火事に遭ったり飛行機で死んだり絶対にしない。次に道を楽しむ。悠久なるものを楽しむ。ただ時分の身辺だけ、家族だけということではなく非常に大きなところにねらいをつけるということです。最後に有終の美をなすということです。

人生の最後がいかにも楽しいものであるというのでなければいけない。人生どんなに幸福であっても最後が悲惨であったら何にもならない。これだけの条件がそろわなければ本当に幸福だとは言えないということです。これは皆さんも同感だと思います。次には仏教的には四苦八苦ということで決めるのですが決め方が陰性なのです。五福の方は表、四苦八苦のほうは裏から決めてあるのです。四つの苦しみとは、この人生において生きて行く苦しみ、病気になる恐ろしさ、年をとる悲しさ、死ぬ悲しさ。

この四つが四苦、次の四つは求めて求めて求めるほどそれが手に入らない。いくら探しても手に入らない。次は欲情が煩悩が燃え盛ってどうにもならない五蘊盛苦。次は憎い嫌だと思う人とは鼻を突き合わせていなくてはならない。この世に生きて行くうえでいやな思い、大嫌いな人にあったり恨めしい人ができたりの怨憎会苦。次には愛別離苦。愛してかわいがって大切にしている物に必ず別れる。これが四苦八苦です。これを無くすのにはどうしたらいいか。これにはいろんな先生がいてそれを説いたのですが、日本で一番偉い仏教の元祖の伝教大師と弘法大師。弘法大師は伝教大師より十歳若かった。

伝教大師は支那に行かないうちに日本で勉強しました。比叡山の大きなお寺を作ったのはこの人です。一千三百年前のその頃は比叡山には猿がいたと言います。偉い人ですね。坂本のある貧乏な武士の家で生まれたのですが、この人は民間では聖徳太子を除いて仏教界の最大の恩人です。この人が帰ってから日蓮宗でも、真言宗でも或いは浄土宗でも念仏宗でも其のほかのものでも、すべての仏教は皆これで教えているのです。伝教という人がね。偉い人ですね。この人の伝記を読むと絶対勉強になります。其の時分、唐が国だったのですが、日本の政府が金を出して五艘、十艘と船を仕立てて遣唐使として支那へ送ったのです。この人は十三回目かの遣唐使として弘法大師と一緒に支那へわたった。

弘法大師の船は四、五日目に南洋のほうに流されて一ヶ月目に支那の南の果てに着いた。ところが伝教大師の法は四ヶ月漂流したのです。毎日毎日大揺れに揺れて、残りの二艘は途中で壊れて乗っていた人は死んでしまった。今だと飛行機で四時間で行けるところを四ヶ月懸かったのです。すごい苦労をしたものです。実に苦労をしたものです。その時の帰路鑑真和尚という支那の偉い人を連れてきた。この人は三十代でぜひ日本で仏教を広めようと思い、決心して船に乗ったが、なんべん船出しても船が難破して、とうとう六十になるまで出国できなかった。辛抱強い人で何十年と船待ちをしていたのです。ついには六十から六十四になって目が見えなくなり困っていたところに伝教大師がきて、帰国するから一緒に行こうということになり、やっと日本に来た。六十四歳からこの人の布教伝道は始まったのです。ところがこの鑑真に光明皇后が深く帰依されて、癩病院を建てたり、施寮院、施薬院を建てたり、すっかり皇室は仏教宗になったのです。
(つづく)
19948月号No.683