2010/10/26

マクロビオティックの可能性

17日の久司先生の講演会から約10日が経ちました。

先生が繰り返し強調していた事に現在のマクロビオティックを取り巻く環境の懸念が集約されていた。

論点の一つは「あれはダメ、これはダメ、と決めつけるのはマクロビオティックではない」という点。

陰陽は相対的なものであり、流転するものである。

陰に傾いたら陽に、陽に傾いたら陰に。それだけだ。

先日の師範科の授業にも、先生の懸念が的中していた。

「玄米を焚く方法は?」との質問に対し、圧力と電子釜が数名、残りは土鍋だった。

何故このような偏りが起こるのか?

問題は講師、生徒共にあるが、水掛け論は生産的ではない。

陰陽による判断力とは表面的な言葉面だけ捉えればよいのではない。

「皆が土鍋で炊いているから美味しいと思う」と論外だ。

日々、自らの身体の陰陽を判断し、その陰陽に合わせて食べる物、食べ方を陰陽の視点から変えていく事が必要なのではないか?

毎日同じ食事をしていたのでは、陰陽の流転が行われているこの宇宙の秩序に反してしまう。

その宇宙の秩序法則を料理を通じ勉強するのが、リマ・クッキングスクールの真髄であろう。

その点が疎かになっている現状は何もリマだけに限ったものではない。

マクロビオティック全般に関して妥当することだからこそ、久司先生も懸念を示されたのであろう。

マクロビオティックに絶対はない。

各々が自ら考え判断していくためのツールとしての陰陽とは相対的なものである。

この点を再確認した講演会であった。